チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

おっさんは花柄に弱い。

連日暑い。本州以南と比べるべくもないが、やはり暑い。まったく寝苦しくてかなわない。火照るカラダを、扇風機で小一時間程冷まして横になり、ようやく寝付くことができる。エルニーニョで冷夏とかいうハナシは、どうやら無かったことになったらしい。冷夏どころか平年以上に暑いんじゃボケ!

さて、ここからキモいパートに入るのだけど。夏の暑さに喜びを見出すとすれば、女子の露出度が高まる事くらいか。くらいと言ってしまったが、なかなかどうして、諸手を挙げて歓喜する事態ではある。ここでまたしても死ぬほどくだらない性癖を開陳すると、僕は花柄に弱い。花柄のワンピースであったり、スカートであったり、細身のパンツであったり。街行く可憐な女子がそういった花柄の服を着ていると、思わず目が釘付けになってしまう。

傍から見れば随分怪しいおっさんに違いない。しかし、エロ目線というワケではない。美醜に関するコンプレックスが強い余り、美しいモノや完成されたモノに目がないだけなのである。女性ファッション誌や、WEBショップのコーディネート写真を眺めたりもする。お花畑の住人の戯言として、この辺はそっと黙認して欲しい。

花柄好きが昂じて、僕自身も花柄を纏いたいという衝動に駆られる。メンズにも花柄の服がないワケではないが、着て許されるのは二十歳そこそこの雰囲気イケメソ以上だろう。アラホーのブサメンがそんな格好で出歩いて、写真を撮られてTwitterで拡散でもさせられようモノなら、もはやタヒぬしかない。もっとも二十代の頃は、何を勘違いしたのか普通に着ちゃってたんだけどさ、花柄のシャツとか。ま、若気の至りである。あの時君はイタかった。もし来世で生まれ変わりを果たすのなら、フツメソ以上の女子となり、花柄を着倒してやろうと思う。ハッハッハ!

 

映画鑑賞記

ジョゼ・パジーリャ監督作「ロボコップ」("RoboCop" : 2014)

SFアクション作品「ロボコップ」(ポール・バーホーベン監督)のリメイク。全身を機械に改造された刑事が困難に立ち向かう様を描く。

近未来、世界の至る所でオムニコープ社製のロボットが治安維持を担うようになっていた。しかし、唯一、米国内においてはロボットに対する国民の根強い反対があり、また警察のロボット配備を規制するドレイファス法への民意も厚く、国内参入を模索するオムニコープは手を拱いていた。ロボットの極めて合理的で冷徹な判断を下す部分に、国民の懸念がある事を見抜いたオムニコープは、人間とロボットを融合させ、人間らしさを備えたロボコップの開発に着手する。開発の依頼を受けたサイボーグ医療の専門家ノートンによるプロジェクト主導の元、捜査の途上で瀕死の重傷を負った刑事マーフィがロボコップへと改造される。マーフィは犯罪組織の内偵捜査を進めていたのだが、組織の罠にかかり、頭部と心肺を除くほとんどの機能を失う程の熱傷を負い、もはや死を待つのみだったのだ。無意識の内にロボコップへと改造されたマーフィは混乱し、感情を制御できない。彼は変わり果てた自らの姿を嘆き、苦悩と格闘しながらも、犯罪組織への復讐を開始する。

スタイリッシュなSFアクションで予想以上に面白かった。人類とロボットの共存とそこに横たわる諸々の問題は、普くSFで扱われてきた深淵なテーマだけれど、本作ではもう一歩進んだフェーズに到達している様に思う。この期に及んでは、ロボットとの共存は当然であって、問題はそのロボットの特性ではないかと。何をどこまで任せるか、法律で逐条的にガチガチに縛りをかけるというのが、これからの世の趨勢になっていくのかしらんと、そんな気にさせられた。もっとも内容自体は割とシンプルなガン・アクションなのだけど。ロボコップの一人称視点が多用され、FPSっぽくインターフェースに情報がババッと表示される演出が、厨二ゴコロを刺激する。しかし、望まずしてサイボーグとなってしまった男の悲哀を思うと、色々と去来するモノがありますなぁ。

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