チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

おさおばホイホイ。

世間様の3連休。季節の変わり目。外は一桁温度。室内は20度以上あるが、フリースを出そうか悩んだ。そろそろガスFFの掃除もしておいた方が良さそうだ。先日、真冬用アウターを売って得た資金を追加して、新たにアウターを買おうか悩んでいる。生ヌルい防寒着では、ここでの冬は凌げないから、それなりのモノが必要だ。本格的な冬が訪れるまで、残された時間は少ない。

それとは別に、服が意外な価格で売れた事に気を良くした僕は、まだ他に何か売れるモノはないかと、押入れを物色していた。生来の優柔不断で、断捨離できずに放置してあった服や小物、数点を発見し、ニンマリ。今週早々に売りに行こうと画策中。過度に期待せず、今回も二束三文♪という心持ちでいよう。

変わり目と言えば、テレビの番組改編期だが、「地獄先生ぬ~べ~」の実写化ドラマが始まったので、懐古趣味でとりあえず1話付き合ってみることにした。大昔、ジャンプを購読していた頃も、ぬ~べ~は真剣に読んでいなかったので、そこまで思い入れは強くないのだが、今回のドラマはなんだかなぁというデキだった。日テレの土9ドラマと言えば毎クールあんなノリらしいが、日テレにかぎらず、昔懐かしの漫画やアニメを引っ張り出してきて、現代風に実写ドラマ化するのが、いまやルーチンワークの様になっている。どこに需要があるのか、いまいちよく分からないが、僕が今回のぬ~べ~1話を観たくらいだから、おっさんおばはんホイホイとしては、それなりに機能してはいるのかも知れない。とまれ、あーだこーだ、ぶつくさ言いながら、次回も多分観ると思う。今クールは他に観るべきドラマあるかしらん。

 

読了記

自分でつくるセーフティネット~生存戦略としてのIT入門~

自分でつくるセーフティネット~生存戦略としてのIT入門~

 

最近、ネット界隈で度々話題に上がるトピックに「弱いつながり」だとか「良い人戦略」があるが、本書もそんな内容の一冊。おカネがなくても、大した才能なんかなくても、ゴリゴリの社畜として心身を磨り減らさなくても、今の時代、ネットを上手に利用すれば生きていけるんですよっていうノリの一冊。大半がSNS、とりわけFacebookの有効な活用方法について、著者らしい語り口調で論じられている。

例えばGoogleFacebookを始めとするネットサービスを利用するに当たり、個人情報を晒す事が実生活に思わぬ影響を及ぼしたりしないか、悪用される心配はないのか、不安に思う人も多いと思う。確かに個人情報はそれ自体大切なモノではある。しかし、ここで著者は言う。普通に節度を保って生活している一般市民にとって、ネットに公開して、或いは企業に渡って困るような情報がどれだけありますかと。個人情報を元にした繋がりが広がるかも知れないし、よりパーソナライズされたサービスを受けやすくなるかもしれない、むしろ好都合な事が多いのではないかと。人生がより捗るんじゃないかと。当然、情報の種類や質にも拠るが、まぁその通りだと思う。

著者曰く、これからの時代、Facebookに実名で自分の行動履歴、いわばライフログや、モノの考え方なんかをどんどん公開していって、自分をアピールしなさいと。そうやって、いざというときに備え、SNSを活用した新しいセーフティネットを構築しておくんですよと、こういうワケだ。グローバリゼーションが席巻する社会は、自ずと弱肉強食的な「理の世界」に重きが置かれがちで、対する「情の世界」とのバランスが崩れがち。そこでSNSが現代型「情の世界」に成り代わり、更にはセーフティネットとして機能する。例えば、誰かを雇い入れたり、誰かと共同作業を行ったりという時に、対象の相手がSNS上で公開している言動を見れば、人となりからこれまで成してきた事まで洗いざらい分かる。どうとでも取り繕える履歴書や面接より、遥かに情報量に勝ると。例えば、困ったときに親友なんかいなくても、SNSで緩い繋がりを保っていさえすれば、そして自分の素性が明らかであれば、いつでも臨機応変に助けてもらえると。

でもこれって、僕の様なコミュ障で底辺のおっさんにはとても辛辣な世界観なんだよね。従来型社会からの大きな転換ではあるのだけど、そこで志向されるのは、よりコミュニケーション能力に特化した社会であって、姿形を変えた適者生存の世界だろう。おカネがなければ、コミュ力で補えばいいじゃないって感じ?SNS上の輪に繋がれないような奴は、そもそも存在しないのと同じ。なんだかそう線引されてしまった様で、ああさいですかと。まぁ当然と言えば当然なのだが、そういう世界で救われる人がいるのなら、それでも良いってことかもね。コミュ障能無しのおっさんなんて誰も助けてくれないよ。よく「タヒね」とか言われるけどね。実名やら素性やら、ネットに全て曝け出して、自由気ままに人と繋がりたい欲がないワケじゃないが、やっぱり僕のスペックじゃ難しいよ。これからの時代も大変そうだわ。はぁ・・・

 

映画鑑賞記

ジェフ・ニコルズ監督作「テイク・シェルター」("Take Shelter" : 2011)

終末的な嵐の到来を妄信する男と、それに翻弄される家族らの姿を描いたサイコ・スリラー作品。

オハイオ州の住宅街に住むカーティス(マイケル・シャノン)は、愛する妻サマンサ(ジェシカ・チャステイン)、聴覚障害を持つ1人娘ハンナと共に、平凡ながらも充実した生活を送っていた。ある日、カーティスは空に黒々と張り出した雲に不吉な予兆を感じる。遠くない将来、未曾有の嵐が街に襲来し、そこに降る黄褐色の雨が人々を狂わせるのだと。それ以来、カーティスは毎晩、嵐の悪夢にうなされる様になる。家庭ではサマンサが心配するほどに不審な言動が目立ち始める一方、仕事にも身が入らず、上司や同僚に訝られる有り様だった。それでも嵐の襲来を信じて疑わないカーティスは、自宅の傍に備え付けられている古びた竜巻用シェルターに目を付ける。そのシェルターを改築して、来る嵐がもたらす終末的状況にも対応しようと、カーティスは取り憑かれた様に作業にのめり込むのだった。

ほんのり終末感漂うSFテイストなノリのスリラー作品。ごくごく普通の勤労者であり、家庭人であるカーティスは、ある時、空に張り出すおどろおどろしい雲と、夥しい数の鳥が意味ありげに飛び交う様子を見て、これまで誰も経験した事のないような嵐が襲来する予感を得る。ただの嵐ではなく、その雲が降らす雨に当たった人々は狂ってしまうという、まさに終末的状況である。ところが、他の誰にも彼が見たのと同じ現象は見えない為、彼の言動は理解されず、独りで抱え込む事になると。折からの不況、自宅ローンの返済、ハンナの人工内耳手術と、家計が逼迫する中、連夜の悪夢で平常心を失ったカーティスは、サマンサに無断で新たにローンまで組んで、竜巻用シェルターの改築を始めてしまう。周囲の人間からすれば「ああ、彼は気が触れてしまったのだ」と、そう断ぜざるを得ない状況。というのも、彼の母親は統合失調症を患い、30代からずっと病院暮らしをしている為で、彼も同じ道を歩むのかと、こういうワケですな。彼の予見した嵐は果たして本当に襲来するのか、あるいは全て幻覚に過ぎないのか。SFに進展するのか、精神障害者の苦悩で帰結するのか、最後の最後まで分からない様になっている。終末的世界観に、家族ドラマ、メリケン特有の社会背景などが、巧みに練り合わされた力作で見応えがあった。

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