チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

矢部宏治 著「日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか」(2014)

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

 

一見してリベラルより更に左寄りな印象だが、現在のリベラル或いは左翼陣営に決定的に欠けている、新しい視座を与えてくれる良書。日本からいつまで経っても米軍基地を無くせない事と、福島の様な事故が起きて尚、原発を無くせない事の問題の根っこは同じであり、両者が相似形を成していると看破している。

日本が米国に対して非力なのは、日本国憲法が、米国との密約を含む安保条約群の事実上の劣位に置かれているからであり、この為に裁判所は米軍が絡む事案の判決に及び腰になってしまう。在日米軍の存在が、憲法違反か否かで争われた砂川裁判が代表的な事例で、日米安保条約の様な高度な政治的な問題には、最高裁憲法判断をしないで良いと決まってしまった。これを「統治行為論」と言うらしい。これと同様の文言が原子力基本法に新たに加わり、最高裁原発の存否さえ、統治行為論を盾に憲法判断をしないで済む様になったというワケだ。法治国家に於いては、憲法が全てに優越するはずだが、どうやら日本という国は法治国家の体を成していないらしい。

著者がいわゆる従来型の左翼と異なるのは、明確に新憲法の制定を主張している点だが、当然それは自民党が掲げるトンデモ改憲案の様な代物では無い。GHQが書いた憲法は、戦後の日本を経済大国へ押し上げたという点では、その役割を十分に発揮したが、同時に米国による占領体勢を恒久的な物にしてしまった。本来は戦後間もない時期に、国際法に則って、日本人の手によるオリジナルの憲法を制定し、同時に米軍基地の撤去を求めるべきだった。ドイツやフィリピンがそうだった様に、日本も真の意味で独立を果たすべきだった。しかし、日本は経済を優先する余り、憲法と真剣に向き合って来なかった。現在の日本にとってなにより不幸なのは、噴飯物のトンデモ改憲か、一言一句の変更も許さない護憲の、二者択一の選択肢しか無い事で、マトモな憲法の発案主体がいない事だと言えそうだ。

何より衝撃的だったのが、国連憲章における敵国条項に、唯一該当する国が日本だけだという事実で、死文化しているとは言えど、戦後半世紀以上経った今も尚、日本が国際法上、差別的な扱いを受け続けている事を意味している。しかし、自民党のトンデモ改憲案を見れば、それもさもありなんだろう。よくもまあこんな党が、国民の過半数の支持を得ているものだと、陰鬱な気分にさせられる。本書を一読する限り、僕は、日本は「基地」も「原発」も止められないと思ったが、著者はその展望を前向きに論じている。さて、どうなることだろう。