チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

子供の顔を見て、その両親の顔を連想するという、ゲスさ極まるマイブーム。

世間様は真夏日で随分大変そうなのだが、こちらは一年の内で一番過ごしやすい時期を迎えていて、もうずっとこんな感じなら良いのにと願う程である。朝晩は多少冷え込むので、日中だけ窓を開けておくのだが、そよそよ~と爽やかな風が入ってきて、汚部屋の沈滞して淀んだ空気が浄化されていくのを感じる。しかし、網戸をしていても小虫が入ってくるのが煩わしい。昨日はどういう経路で侵入してきたのか、3センチ程のクモを室内で発見した。クモは益虫とも評され、殺すべきでないと言われるが、僕の前に現れた小虫やクモの類は全て掃除機入りする事になる。

今クールで唯一観ているドラマのマザー・ゲームは佳境に入り、なかなか面白くなってきた。視聴率こそ余り振るわないが、それも底を打った感じで少しずつ上向いて来ている。出演している子役達の、度が過ぎないくらいの可愛らしさ、演技のレベルに好感が持てる。もちろんドラマだから極めて特殊な環境下の子育て世帯を描いているのだが、それにしても僕には育児なんて絶望的に無理ゲーで、縁遠い代物なのだと痛感させられる。僕がこうして廃人でいるのは、育児に関わってはいけないという社会的な要請なのだな。

ときに、僕は子供の事がとくに好きというワケでも嫌いというワケでも無いのだが、齢を重ねるにつれて、子供を愛でる感覚というのがほんの少し芽生えてきた気がする。気がするというのは、僕は子供と接する機会が皆無に等しいので、子供という存在が別世界・別次元の生き物としか思えず、その生態がまるで分からないからである。例えば僕は時々動物園に行くのだが、変質者と思われないレベルで、来園している子供を観察するのが、最近の楽しみというかマイブームである。当然、子供は保護者に伴われて来ているから、それとなく子供の顔を観察して、その特徴から両親の顔を連想した後、実際に両親の顔を見て答え合わせをする。そんなゲスさ極まる一人遊びに興じては、薄気味悪くほくそ笑むアラホーのおっさんが、時々円山動物園に出没しますので、どうかお気をつけ下さい。