チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

俺の1日の食費のン倍もするうなぎが売れに売れるんだから、世の中にはブルジョワが多いよね。

雨は止んだが今日も蒸し暑い。朝から冷コーを啜っては、YouTubeの動物園動画を観て和んでいる。市販のボトルコーヒーに市販のロックアイス。一杯20円くらいと見積もってこれを毎日数杯飲むとしたら、それなりのコストだが暑さを凌ぐにはやむを得ない。ボトルコーヒーには当然カフェインが入っており、デカフェしている身としては本来は避けたいところだが、近所のスーパーではカフェインレスのボトルコーヒーを取り扱っていないし、Amazonヨドバシにも置いてなさそうだから、これまたやむを得ない。

今日が土用の丑の日だと、スーパーのチラシを見て知った。オモテ面にはデデーンとうなぎの蒲焼きが載っていて、朝っぱらから食欲を刺激する。高知産の高級うなぎで、1枚で俺の1日の食費のン倍はする代物である。別に土用の丑の日でなくとも、うなぎの蒲焼自体は普段から売っているのだが、場末のスーパーでもあんな高いモノが売れるんだから、あべのバカカスの経済政策の恩恵をしとどに浴びている層はいるのだ。まさかとは思うが、国産うなぎを食べておいて、不景気だとか生活が苦しいだとか喚く奴はいないだろう。

俺は国産のうなぎを食べた記憶が無いから、おそらく生まれてこの方、食べた事が無いと思う。中国産ですら俺の1日の食費くらいするから、おいそれと食べられるはずもない。とは言いながら、俺はとくにうなぎが好きなワケでは無く、同じ値段なら国産牛のステーキでも買って食べた方が、満足度は高いかもしれない。さはさりながら、やはりうなぎにある種のあこがれを抱くのはブルジョワ願望があるからだろうか。仮にうなぎが容易く手に入るモノになったとしたら、逆に見向きもしなくなるかもしれない。俺みたくうなぎを有難がってる世間の奴らだってきっとそんな感じだろう。うなぎはひとつのステータスシンボルに相違ない。

俺の様な、うなぎに手が届かない底辺の気持ちを察してか、最近ではうなぎの代用品の開発に業者が鎬を削っているというハナシを聞く。代用するのはナマズだったり、さんまだったり。インドネシアのビカーラ種というのも聞いた。とりあえず蒲焼きにしとけば、それっぽくなるのかもしれない。要はタレなのだ。タレをほっかほかの白飯にちょいがけして食べれば、とりあえず俺の様な底辺の舌バカはほっこりする・・・と思う。どっかの企業がそんなタレを開発して売って欲しい。