チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

毛玉ジョリジョリが解消する陰鬱な希タヒ念慮、これはセラピー、ただのセラピー。

昨日は栃木や茨城など関東周縁で甚大な被害を出した大雨が、今日は宮城を襲っているらしい。河川の決壊や道路の冠水の模様は経験した事が無いから、どうしても非現実的に見えてしまうのだが、どれだけ大勢の人の暮らしが犠牲になったのかを考えると身震いする。水が生命を育み、破壊もするのだなぁと、きょうび小学生でも考えない様な低レベルな事を考えてしまった。真面目に生きている人が災難に見舞われる反面、俺の様な不真面目の塊の様な無益な存在が生き長らえてしまう、この不条理がやるせない。こんなに毎日タヒにたいタヒにたいと願って止まない俺だが、いま住んでいる土地に留まる限り、災害の類でタヒぬ事はおそらくないだろう。

最近、沸々と希タヒ念慮の高まりを感じるのだが、そんな気持ちを解消してくれる一つのツールが毛玉取りである。毛玉をジョリジョリ取る行為は、それをやっている間中、無心になれるから、俺は好んで毛玉を見つけてはジョリジョリしている。しかし、毛玉の発生源は限定されており、そんなに大量に発生する代物でも無いから、ジョリジョリの対象を都合よく発見できるワケでも無い。先日、ふと気付いたのだが、洗濯と乾燥を終えた薄掛け布団に多量の毛玉があった。毎日使っているモノなのにスルーしていたとは、灯台下暗しとはよく言ったものだ。薄掛け布団の生地は毛玉が生じやすい素材で、150cm×210cmの両面に収穫時と言わんばかりに毛玉があった。少しずつ刈れば良いものを、一度始めたら止められなくなり、全部収穫してしまった。あゝ、もったいない。とまれ、毛玉取りのケースに溜まったフワフワの毛玉屑の塊と共に、俺の希タヒ念慮の塊もゴミ袋に捨て、少しだけスッキリした。

今日はいつになく、自衛隊の演習の轟音と衝撃がよく伝わってくる。別にその事自体に反対はしないが、窓がガタガタ揺れるほどの振動だから、どんな演習をしているのかは気になる。正確なところは不明だが、演習の頻度が高まっているはずで、今月に入ってからは毎日というほど聞いているから、一応、こうして記録しておく。