チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

自分とは無縁だから気付かなかったがいつの間にかそこかしこに葬儀屋が建っている。

気温の乱高下が収まったからか、雨で湿度が上がったからか、先週と比べて悪化したアトピーが幾分落ち着いてきた。来週予定している、今とは別の皮膚科で診察してもらう計画はどうしようか。都市部で遠いし、交通費がかかるし、何より医師との初対面が苦痛だから、行くのが躊躇われる。症状が更に改善したら計画を一旦中止するかも知れない。我ながら現金な性格だと思うが、症状が酷い時の状態を診察してもらわなければ、病の実相が明らかにならないかも知れないし、何はともあれ来週まで様子見しよう。ときに最近になって改めて気付いたのだが、近隣にコンビニの数と同じくらい多くの葬儀屋が散見される。先月だったか、近所の個人経営の酒屋が急に廃業したので、次に何ができるか興味を抱いていたら、こじんまりとした葬儀屋へと転身していた。超高齢化社会に突入して相当需要が見込まれるから、斯様にそこかしこにポコポコと葬儀屋ができるのだろう。私は家族とは絶縁状態の身であり、これまで一度たりとも葬儀に出た事が無ければ、間違いなくこれから出る機会も無いし、私自身は独りで野垂れ死にする事がほぼほぼ確定しているのだから、葬儀の必要性がまる理解できない。そもそも生前は無宗教のクセに、死後に恭しく葬儀で弔うのが滑稽にすら思えてしまう。こんな戯言を抜かしているから、私は永遠にカルマから解放されないのだろう。