チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

有職っぽさをカマス。

またしても布団ミノムシで二度寝。本睡眠より二度寝の方が、爆睡してしまうというバランス感覚の崩壊ぶりに、自分でも呆れてしまう。ムショクの僕が、どうしてくたびれた週末お父さんの様な生活をしているのだろう。しかし疲れる。無味乾燥で非生産的な日常であっても何故か疲れるのだ。コレしなきゃ、アレしなきゃと予定を入れる程、焦燥感に苛まれ、ココロが窶れていく。仕事に家事に育児にと、そつなくテキパキやれちゃうヒトって、そのバイタリティの源泉はどこから湧いてくるのだろう。僕なんてどれひとつとしてマトモにできていないからね。ま、育児はやったコトないけど、どう考えても無理だわな。そもそも子供と関わる機会すらないんだった。今日は図書館に行かねばならんのだけど、この「ねばならん」がココロの重石となって、ベッドから出られないワケで、アタマ重けりゃ腰も重いさ。ちなみに土日に図書館に行くのは、有職を装おうという打算的でゲスくてペラい考えに拠るもの。ムショクのおっさんが一度外に出れば、どこもかしこも針のむしろだからね。今日もココロの澱に塗れた汚染水を、ネットの海に垂れ流してしまったわい。うへー、基準値以内かしら。

 

映画鑑賞記

テイト・テイラー監督作「ヘルプ ~心がつなぐストーリー~」("The Help" : 2011)

白人コミュニティの中で、差別的な待遇で働く黒人達の友情や悲哀を描いたヒューマン・ドラマ。舞台は1960年代ミシシッピ州、根強い黒人差別が行われていた時代であり、中でも南部に位置する州は酷かったのですね。今日でもまだ差別感情が払拭されていないのだからさもありなん。ジャーナリスト志望の若き白人女性ユージニア(エマ・ストーン)は、そんな不条理な差別に異議を唱え、エイビリン(ヴィオラ・デイヴィス)やミニー(オクタヴィア・スペンサー)らを筆頭に、日夜差別に苦しむ黒人メイド達の声を、一冊の本に纏めようと考える。黒人に肩入れするだけでも、身に危険が及びかねない状況で、さて出版にまで漕ぎ着けるかどうかっておハナシ。ハイソな白人コミュニティでは、黒人の使用人を雇うのがデフォ。白人男性は外に仕事に出かけ、その間女性は家事やら育児やらその他諸々の雑事に至るまでを黒人の使用人に丸投げして、自由気ままで優雅な生活を満喫していた。そんな白人達が、ある意味滑稽な感じに描かれている。黒人に対しては、あれするなこれするなと明確に線引がなされ、その一つに同じトイレを使わせないなんてのがあったりして、わざわざ戸外に専用のトイレを作る有り様。曰く「汚らわしい」だの「病気が伝染る」とかいうのがその理由なのだけど、そのくせ黒人メイドが作った料理をアタリマエに食べているのが嗤える。育児なんてほぼ完全に任せっきりで、子供はメイドをお母さんだと本当に思っていたりする。そう子供の内は・・・。「大人になるとそんなコトをすっかり忘れて使う側に回る」的な、エイビリンの台詞に悲哀が満ちている。しかしメイドを育ての親として、親しむ気持ちを忘れなかったユージニアの様な女性もいるってワケですな。基本的にポジチブな展開に終始するも、現代まで綿々と続く差別問題だけに、物悲しさを漂わせ、考えさせられたENDでした。

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