チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

そしてスヌードがある。

今月もはや最終週。どうも暖かいなぁと思ったら、10月にしては記録的な気温の高さだった様で、夏日のところもあったとか。これが明日には急転直下で冬日になるのだから、カラダが悲鳴を上げそう。というか目下、ストレス由来の梅核気に拍車がかかっていて、実に悩ましい。


3ヶ月予報を見ると今冬は全国的にやや暖冬傾向、当地では平年並らしいが、どんなもんかしらと。気温に加え、降雪量も気になるところだ。それは僕が通販依存の生活をしているからで、荷物が遅滞なく届いてくれないと困る。ヤマトや佐川の運ちゃんに命を繋いでもらっている、そんなアラホーのおっさんなのである。

予報がどうであるにせよ、こちらの冬は防寒アイテムが必須であって、しかしながら、どんなアイテムを使うかによって、屋外でのライフの減り方がかなり違ってくる。サレオツかどうかは関係なく、マフラーや手袋、ニット帽などがライフを保持するためにマストで、当地で冬場にこれらを着けずに屋外に出るヒトは、どこかネジが外れているのでは?と、僕などは思ってしまう。

一方、一度屋内に入ってしまうと、どこもかしこも暖房がガンガンに効いている事が常で、それは冬のアイス消費量日本一という名誉なのか不名誉なのか、今ひとつ分からない記録に端的に現れているが、要するに着脱が容易な防寒アイテムでなくては、今度はサウナの様な暑さでライフが削られてしまう。僕がこちらに来て一番驚いたのが、店の暖房の効きっぷりだった、と言っても過言ではない。

だからというワケじゃないが、僕は昨冬、スヌードというアイテムを購入し、これが甚く気に入った。マフラーとネックウォーマーの間の子的なそれは、おそらくここ数年で流行り始めたモノで、男物としてはまだ定番化されていない様だ。巷の男性諸氏で着けているヒトが少ないから、サレオツ感を醸し出してしまうが、マフラーの様にぐるぐる巻く必要がなく、首にスポっとかけるだけでいいから、着脱が容易で取り回しも楽ちん、もう手放せないアイテムとなった。更には、首元にボリュームを出しておくと、顔デカを少しだけ誤魔化せるから、コンプ解消にも持ってこいの一挙両得お役立ちアイテムなのである。スヌードラブ。

 

映画鑑賞記

マルガレーテ・フォン・トロッタ監督作「ハンナ・アーレント」("Hannah Arendt" : 2012)

ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントが、ナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、雑誌に寄稿した手記が論争を呼び起こすも、負けじと克己する様を描く伝記ドラマ作品。

ユダヤ人の哲学者で、政治思想家のハンナ・アーレントは、フランスの強制収容所を脱出するなどし、アメリカに亡命した後、ニューヨークで教鞭を取る傍ら、夫のハインリヒ・ブリュッヒャーと2人で穏やかに暮らしていた。ある時、逃亡していたナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンが、潜伏先でイスラエルモサドに拘束される。1961年、エルサレムで裁判が行われる事になり、ニューヨーカー誌がアーレントに法廷での傍聴記の寄稿を依頼する。ブリュッヒャーと旧友の中には、アーレントがアイヒマン裁判に関わることを渋る者もいたが、アーレントは自身の体験をも踏まえ、戦犯アイヒマンに向き合うべく、エルサレムに飛ぶ。ところが、法廷におけるアイヒマンの言動から見えてきたのは、一般に認知されている「絶対的な悪」などではなく、命令に従順で、思考の欠如した普通の男の姿だった。アーレントはそれを「悪の凡庸さ」と表現し、手記に纏め、ニューヨーカー誌で発表するのだが、それは彼女が考えていた以上に、苛烈な論争を巻き起こすのだった。

不勉強なもので、ハンナ・アーレントについては、その名前くらいしか知らなかったし、アドルフ・アイヒマンについても、ユダヤ人虐殺の主導的役割を果たした大戦犯である、という事を知るだけで、これまでほとんど関心を払ってこなかった。本作はアイヒマンについてどうこう処するモノではなく、政治思想家としてのアーレントが、エルサレムで行われたアイヒマン裁判を実際に傍聴し、彼を陳腐(凡庸)な男に過ぎないと手記に著した事が、世の中に、とりわけユダヤ人同胞に衝撃を持って受け止められた、という一連の経緯を描き出している。リベラル~左寄りの方々の支持を受け、なかなかの好評を博したらしい。史実に明るい方がより本作を楽しめるのだろうが、僕の様にお勉強したい向きにもやさしい内容である。アイヒマンを絶対悪だと断罪しなかったばかりか、強制収容所におけるユダヤ人リーダーを、さも虐殺に加担したかの様に表現したのは、ユダヤ人同胞に対する裏切り行為だと、激しいバッシングに曝される事になるアーレント。旧知の友でさえ彼女の元を離れていく。思想信条で結びつく事の難しさがここにある。裁判のシーンには実際の記録映像が挿入されており、確かにそこに登場する男の姿からは、ヒトラーの様な稀代のカリスマ性だったり、荒々しさ、禍々しさなどの分かりやすい負のイメージは抱きにくい。本筋とは関係ないが、アーレントは愛煙家としても有名だったらしく、なるほど彼女の登場するシーンの随所で喫煙しているし、作品のポスターからして喫煙姿だ。知識階級のヒトがああしてスパスパやっている姿は、サマになっちゃうんだよね。今じゃちょっと考えられないが。

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