チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

腫れては潰れ腫れては潰れの粉瘤地獄できっと俺に明日はない。

KT袋の付け根にできた粉瘤が実に悩ましい。腫れては潰れ、腫れては潰れを繰り返すから、いつ潰れても良いように毎日絆創膏を貼り変えている。潰れたら酷く出血するので、ゴミ袋には血を拭きとったティッシュがてんこ盛りになる。ゴミ袋は半透明だから、他所様が見たら「あら、アレの日かしら」と思われかねない。もちろん僕はアレの日に何がどうなるかなんて露ほども知らない童貞だから、アレを用いて出血の様子を表現するのは不適切かも知れない。しかし、いつまでこんな事を繰り返さなければならないのだろう。場所が場所だけに病院に行くのは、最後の最後の最後の手段にしたいところだが、粉瘤はガン化するという話も聞いたから、ひょっとしたらこの粉瘤が行く行くは僕の体を蝕み、挙げ句の果てには殺すのかもしれない。

ガンと言えば今朝方のニュースで、ある芸能人がガンで亡くなった事を知ったが、芸能人で急逝するなら、不摂生極まる生活を送っている僕などは、もっと早い内にガンかあるいはそれに準ずる病で死んでもおかしくないだろう。先日、ガンは放置すべきだという主旨の本を読み、その考えが正しいか否かは僕には判断する事はできないものの、非常に多くの示唆を得てタメになった。ガンの前では早期発見も抗癌剤治療もデメリットの方が大きく、QOLに繋がらない様だ。

考えてみると、抗癌剤を用いた闘病の辛さは見聞きするものの、ガンの何がどう辛いのかはよく知らない。サクッと死ねるなら、寧ろそちらの方が好ましいとすら思える。後に残していくモノや失えないモノがある人だと、なかなかそういうワケにもいかないだろうか。僕の様な文無しの世捨て人は、たとえガンになったとしても、病室のベッドを充てがうのも無駄な事だし、結局、その前に安楽死があればなぁという結論に至ってしまうのであった。