チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

俺のコバエに対する嗜虐性の中に、相似形を成すバカノミクスの本質を見てしまったあ。

涼しくなってきたのにいまだに室内をコバエが飛び交っており、鬱陶しくてかなわない。汚部屋故に虫が湧く要素は整っているのだが、それは昨年までと変わっていないし、例年、これくらいの季節には姿を消していた様な気がするのにどうしたものか。それでも幾分勢いが弱まってはいるから、見つける度に叩き潰すのだが、常に室内に一匹は存在する。窓は閉めているから、室内のどこかに発生源があるらしい。据え置きのコバエがホイホイはほとんど意味を成しておらず、週当たり一匹すら取れていない。もう二度と買わない。

昨日、冷蔵庫を開けた途端に、まるで機を窺っていた様に一匹が中に入ったので、試みにそのままそっ閉じしてやった。一時間ほど経った後に確認してみたら、隅っこの方で見るからに寒そうに縮こまっていたから、再びそっ閉じして俺はほくそ笑んだ。しかしその時、俺はこの行為が権力者による底辺に対する仕打ちと相似だということに気付いた。俺の場合、こういう嗜虐性はコバエの様な小さな虫に対してのみ行う事だから、すなわち俺自身が社会的に虫けら同然、あるいはそれ以下という事になる。底辺の一挙一動、否、その存在自体が美しい国を標榜する権力者には目障りなのである。

昨日、コーヒーをがぶ飲みと書いた後に、ふと「ガブノミクス」という言葉が頭に浮かんだ。こういう造語をひらめいた時はすかさず検索して、既にネット上に存在する言葉かどうかを確認することにしている。残念ながら数件ヒットしてしまった。ちなみに用法としては「ガブノミクスでネスカフェの売上を下支え」と、まあこんな具合である。丁度、いまPCの傍にコバエが止まったので、叩き潰してやった。利き腕では無い左手で仕留められるレベルだから、その緩慢さは言うまでもない。アベノミクスに俺が叩き潰される日もそう遠くはない。