ジョディ・フォスター監督作「それでも、愛してる」("The Beaver" : 2011)[BD]
重いうつ病を患う男が、偶然手にしたハンドパペットに宿した別人格に支配される事で、愛する家族を始めとする周囲の者達を翻弄していく様を描くドラマ作品。
父から受け継いだ玩具会社のCEOを務めるウォルターは、妻メレディス、長男ポーター、次男ヘンリーと共に幸せな家族生活を送っていた。しかし、ウォルターはいつしか重いうつ病を患い、投薬とカウンセリングを行いながらも、死人同然に眠ってばかりの日々を過ごすようになる。やがて家族との関係は破綻し、更に会社の業績も傾き、倒産寸前の状態に陥る。エンジニアのメレディスは仕事に没頭する事で、ウォルターの抱える問題から目を背ける様になり、高校生のポーターはウォルターとの類似点を見出してはそれを消す事で、同じ様になるのを拒み、小学生のヘンリーは学校で虐めに遭い、孤立する。ウォルターは自分の病が家庭に悪影響を及ぼしている事を察していながらも、回復の兆しは一向に見られない為に、荷物を纏めて家を離れる。
その夜、ウォルターはコンビニに立ち寄り、酒を買ったついでに、屋外のごみコンテナに捨てられていたビーバーのハンドパペットを見つけると、何気なくそれをホテルの部屋に持ち帰る。ウォルターは左手にビーバーを取り付け、泥酔した末に、浴室で首吊自殺を図るも失敗する。ウォルターはベランダから身投げを図ろうとするが、その時突然、ビーバーが話しかけてくる。ウォルターは驚いた拍子に転倒し、屋内のテレビに頭をぶつけて昏倒する。一方、自宅のメレディスは在りし日の家族が戻らない事を懸念し、子供達の前で悲嘆する。
翌朝、ウォルターはビーバーに起こされる。ウォルターが作り出したその人格「ビーバー」は、人間には友人が必要だから、ウォルターが自分を拾ったのだと説き、病気を治したいか、今の自分を本当に変えたいと思うのかとその覚悟を問うと、全て崩して根本から建て直し、人生を救うために自分がやってきたのだと告げ、ウォルターを奮起させる。
その日、ウォルターはメレディスより先にヘンリーを学校に迎えに行き、自宅へ連れ帰ると、思い出箱の工作を一緒に作り始める。帰宅したメレディスは、ビーバーを介してのみ会話を行うウォルターに困惑する。ビーバーはそれが主治医の治療の一環であり、会話は全て自分を通す様に説くと、全面的に協力する様に理解を求める。メレディスはヘンリーが楽しんでいる様子を見て、やむを得ず付き合う事にする。
校内で密かにレポートの代筆を請け負う事で小遣い稼ぎをしているポーターは、好意を抱くチアリーダー部の才媛ノラから、突然、卒業スピーチの代筆を依頼される。ポーターはその真意を訝るが、ノラの抱える苦悩を察して戸惑う。帰宅したポーターはウォルターが早々と自宅に戻り、更にビーバーを介して話しかける様子に呆れ返り、明確に拒絶する。
メレディスはビーバーを奇妙に思いながらも、以前とは見違える様に振る舞うウォルターの姿に喜ぶ。ポーターはノラに代筆を引き受ける事を伝え、翌日、家に来る様に誘われる。
翌日、ウォルターはビーバーと共に、久しぶりの出社を果たす。ビーバーは事情を明らかにした上で社員を会議に招集し、戸惑う社員達の面前で、自らがウォルターに代わって後任のCEOに就く事を発表する。ビーバーは早速、業務改革を行うと、再び市場に参入し、近く開催される見本市にも参加する意向を副社長モーガンに伝える。
ポーターはノラの家を訪ねると、スピーチで話したい事を聞き取る。ポーターはノラが中学二年で放校になった事を指摘し、その理由を尋ねる。ノラはタギングが見つかって警察沙汰となった事を明かすと、ポーターに請われて、屋根裏に隠してある作品の数々を見せる。ノラは街中の広い場所に描きたいという願望を吐露するも、捕まって以来、母親がおかしくなり描くのを辞めた事を明かす。ポーターはノラが一旦捨てた絵を拾ってきた人物について尋ねるが、そこに母親が現れ、ポーターに帰る様に促す。
ウォルターはビーバーを介して、昔の様に家族と接する事ができる様になるが、ポーターだけはウォルターから距離を置き続ける。ある夜、ガレージで工作に夢中になるヘンリーの姿から、ビーバーは新商品の着想を得る。翌日、ビーバーは早速、新商品となるビーバーの木工セットの構想をモーガンに提案し、IT機器の類では得られない木工の良さを子供に伝える需要開拓を説く。
ビーバーの就任以来、社には活気が戻り、業績が急回復し始める。メレディスとの夫婦仲も改善するが、治療が終わる見通しが立たない事を知ったメレディスは困惑する。一方、ポーターはレポートの代筆を行った生徒の落ち度で、学校への発覚の危機が生じると、一計を案じる事で秘匿を企てる。
ポーターはノラをデートに誘う。ポーターは代筆で貯めた金の用途が、大学に入る前に旅に出る事だと明かし、その目的が父との類似点を捨てる事だと示唆する。ポーターは人気の無い倉庫にノラを招くと、絵を描くように促すが、ノラは拒む。ポーターはノラに先に描く様に促され、ノラの兄ブライアンを追悼する文字を描くと、それこそがノラの言いたくても言えない望みだと指摘する。ノラは憤慨し、ポーターには関係ない事だと詰る。そこにパトカーが駆け付け、二人は連行される。
一方その頃、ウォルターはメレディスと共に結婚記念日のディナーに行く。メレディスはビーバー抜きで二人で祝いたいと願い、ウォルターは意気消沈する。メレディスはヘンリーが作った思い出箱に、昔の家族写真を詰めてウォルターに贈ると、あるべき家族の姿を思い出す事が病気の快方に繋がると説く。当惑するウォルターを見かねて、ビーバーが現れると、うつの原因が過去にあると主張する。メレディスは昔の写真を見せると、それこそが必要としているウォルターの姿だと訴えるが、ビーバーはウォルターはもう終わりだと告げる。メレディスは尚もウォルターへの愛を訴え、元に戻るように哀願するが、ウォルターはその場から立ち去ろうとする。その時、メレディスに警察から連絡が入り、二人はポーターを迎えに行く。ビーバーはポーターに話し合いを提案するが、憤慨したポーターはビーバーを奪い取ろうとし、逆に押し倒される。メレディスはウォルターを詰ると、ポーターを連れ帰る。
会社の業績は好調を維持するも、ウォルターの気持ちは沈んでいき、ビーバーの人格がウォルターを支配する様になる。メレディスは主治医に問い合わせ、治療の話が嘘だった事を知ると、ウォルターにそれを指摘する。ビーバーは自分がウォルターに治療を施し、症状が好転していると主張する。メレディスはウォルターの症状が重く、正常では無いために助けが必要だと説く。ビーバーはこのまま突き進む様にウォルターに言い聞かせ、自分を消す事はできないとメレディスに告げる。メレディスはウォルターに離婚する意思を伝え、ポーターとヘンリーを連れて家を出る。ビーバーはただ一人、自分に懐き、別れを悲しむヘンリーを送り出す。
ウォルターは風変わりなCEOとして耳目を集める事から「トゥデイ・ショー」への出演に臨む。ビーバーはその中で、生活を根本から変え、家族と離れる意義を説くと、自らの正当性を主張する。一方、ポーターは警察に捕まって以来、ノラに無視され続ける事に痺れを切らし、直接会って詫びる。ポーターはノラが夢を諦めたところで薬物が原因で死んだブライアンが戻っては来ないと諭す。ノラはその言葉に憤慨し、ウォルターの奇行を論って、ポーターを罵り、拒絶する。ポーターは失意に暮れる。
ビーバーの活躍に反して、ウォルター自身のうつは日増しに悪化していく。ある夜、ウォルターはポーターの部屋に入り、ポーターがいかに自分を嫌っていたかを知ると、メレディスに電話をかけ、救いを求める。ビーバーはそれを阻み、ウォルターと格闘を始める。メレディスはウォルターの身を案じ、ポーターに様子を見に行く様に頼む。殴り合いの末、ビーバーはウォルターへの愛を告げると、家族の元には戻さない意向を伝える。ビーバーに支配され続ける事を拒むウォルターは、ガレージでビーバー用の棺桶を作ると、ビーバーの制止を振りきって、グラインダーで左腕を切断する。程なくポーターが駆け付けた事で、ウォルターは病院に搬送され、治療を受ける。
ビーバーの木工セットはたちまち人気が衰え、会社が再び窮地に陥ると、後任のCEOに就いたモーガンは、会社を立て直す決意を示す。メレディスは病院に通い、病床のウォルターに寄り添う。一方、ポーターは代筆の件が学校に発覚して、大学入学が取り消しになり、自宅に篭りがちになる。ウォルターは左手に義手を装着し、リハビリを行う。メレディスはヘンリーを連れて、見舞いに訪れる。ウォルターはヘンリーからポーターが寝てばかりだと聞く。
ポーターはノラから落書きで捕まった場所に呼び出される。ノラは壁に描いた絵を披露し、言いたい事が山程あったと伝え、スピーチを改めて依頼する。ノラはブライアンの死を受け入れた事を明かし、ポーターにキスをする。ポーターはノラが描いた絵が壁に貼り付けた物だと知ると、それを自宅に持ち帰り、スピーチの執筆に取りかかる。
後日、ノラは卒業生を代表してスピーチに臨む。その中でノラは、ポーターの書いた「問題がいつか解決するというのは大人の付く嘘だ」を引用すると、最愛の人は戻って来ずとも、新たにあなたを助け、導き、愛する人が現れると説き、皆、一人じゃないと結ぶ。
その後、ポーターは病院にウォルターを訪ねる。ポーターはウォルターに死ななくて良かったと伝えると、昔は憧れの存在だったが、成長するに連れてそうでは無くなった事を打ち明ける。二人は心を通じ合わせ、堅く抱きしめ合う。メレディスはその様子をそっと見守る。
あのメル・ギブソンがうつ病のオッサンで、しかもビーバーの人形を腕に装着して腹話術よろしく喋るという、かなりぶっ飛んだ役柄だと知って、当初はもう少しコメディ寄りのドラマだと思っていたのだが、次第にビーバー人格がウォルターを支配する様になり、狂気性を帯びだした辺りから、只ならぬ雰囲気を感じ始めた。そして終盤、いよいよウォルターはビーバーを装着した腕を自ら切断する事で支配から逃れる。まさかこんな展開になるとは予想できず、かなり衝撃を受けてしまった。思いうつの場合、精神が相当に蝕まれる事がしばしばだから、こういう事もさもありなんだと思えてしまう。社会的立場と愛する家族がいても、うつ病になる時はなってしまうのだ。いや、寧ろ背負うモノがあるからこそ、うつを患う人も少なくないのだろう。ジョディ・フォスターは監督としても見事な手腕を見せてくれた。しかし、ジェニファー・ローレンスはキャリア初期からずば抜けた存在感と美しさだなぁ。