チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

ADHDかも知れないと今更ながらにそう思ったある晴れた日の朝。

最近、ADHDに関する書籍を読んでいて気付いたのだが、僕はひょっとしたらADHDなのかも知れない。本書に例示されている診断基準の多くに合致するからそう思っただけで、もちろん素人判断に過ぎない。しかし、巷の精神科医でもADHDを他の精神疾患と誤診する事が往々にしてあるそうだから、僕が長らく通院しているメンクリの先生がADHDという診断を下さなかったとしてもおかしく無い。そうなると僕は病院を変えた方が良いのかもしれないが、病態としてADHDをカバーし、尚且つ通いやすいクリニックを見つけるのは難儀だ。自分から「ADHDでは無いでしょうか?」と医師に問い質すのも、訳知り顔を晒すようで憚られる。現在の先生にそう尋ねるのはもっと気後れする。ADHDという診断が下ったとして、直ちに僕が回復するワケでも、救済されるワケでも無いのだが、ADHDには専用の薬があるそうだから、ひょっとしたら現在の窮状から脱却する一助と成り得るかも知れないし、そうなると社会復帰も夢では無いのかも知れない。それでも病院を変えるのは大きな負担だ。引きこもっているだけでは緩やかに死んでいくだけだし、どうしようかのう。

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