チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

猫ちゃんと遭遇してネガチブなハートがちょっぴりウキウキウォッチングしちゃった朝。

八月もようやく下旬入りだ。もはやほぼほぼ死に体の今年の夏だが、それも名実共に過ぎ去ろうとしている。秋が来て冬が来るのが待ち遠しい。何かと諸々で金がかかるし、希死念慮マシマシで鬱々と過ごす事にはなるだろうが、それでも夏よりはマシだ。年初の計画としては、夏前か冬前の割合過ごしやすい時期に、最期を迎える場所の下見に行こうと考えていたのに、そんな気力もとうに失せてしまった。終活プロジェクト第一弾の汚部屋の掃除が全く進まなかったから当然だ。これが終わらない限り、次のステージに向かおうと思えるはずがない。更に往復でそれなりに交通費がかかるのが問題で、今はそちらに回せる予算の余裕も無い。こんな言い訳にもならない戯言を弄している内に今年も終わってしまうだろう。来年の今頃も同じ事をこうして書き連ねている可能性は十分ある。いっそ大病でも患ってしまえば踏ん切りが付くかも知れない。40代は年に一度がん検診が受けられるそうで、もしそこで何かしら見つかれば、その時はショックでも天命を受け入れられるだろう。いや、性根が腐っているから見苦しくジタバタするかも知れない。こればかりはその時になってみなければ分からない。ときに昨日、朝の早い時間帯にコインランドリーで定期の洗濯をしてきたのが、帰り道で道路を横切る猫を見かけた。白黒ツートーンの模様の成猫で、普段からその近所の家の窓際で寝そべっている猫だった。ああして放していてもきっと戻っていくのだろう。また猫を撫で回したい衝動に駆られてしまったが、どうする事もできないのがやるせない。