チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

ハシナシナイト。

タヒぬほどどうでもいいハナシなのだが、割り箸を切らしてしまって困った。普段なら予め買い置きしておくのだが、失念に失念を繰り返し、使いきってしまったのだ。おかげで昨晩はスイーツ用の小さなフォークで食事を平らげざるを得なかった。改めて箸というのは便利な道具だと認識させられた次第だ。箸ナシの食事なんてもはや罰ゲームに等しい。西洋かぶれの僕でも箸ナシの食事は解せない。

そこまで言うなら箸の一揃いくらい持ってろってハナシなのだが、僕は実家を出て以来、一時期を除いて、ずっと割り箸を使用してきた男なのだ。フフン!理由という理由など特に無く、単に安価で洗う必要がないから、惰性で使い続けている間に習い性となった、とかいうズボラあるあるに過ぎない。

しかし、僕も直に40を迎えるおっさんなワケだし、自堕落ぶりを排する為にも、マイ箸の一揃いくらい持つべきかも知れないなぁなどと、昨夜になってようやく思い始めた。これまで全く無頓着だったから、どんな箸が自分に向いているのか、皆目見当がつかない。材質、長さ、形状、エトセトラ。割り箸に比べればなんでもアリといえばそれまでだが、折角だからここは百均ではなく、もう少しだけハイグレードな箸を探してみようか。その前に今夜の分の割り箸を忘れずに買ってこないと。

 

映画鑑賞記

キム・ジウン監督作「箪笥」("장화, 홍련" : 2003)

姉妹と継母の確執から生じる不協和音が、家庭を崩壊させていく様子を描くサイコ・ホラー作品。

スミ、スヨン姉妹は、郊外の湖に程近い場所にある実家に久しぶりの帰宅をする。父ムヒョンが姉妹を出迎えるが、2人はどこかよそよそしい。原因はムヒョンが再婚した妻であり、姉妹の継母でもあるウンジュと姉妹との確執にあった。死別した実母をこよなく愛していた姉妹は、ムヒョンとウンジュの再婚が許せなかった。医師であるムヒョンの仕えの看護師だったウンジュは、病に臥せっていた実母を看病する為に、予てから姉妹らと共に実家で暮らしていたのだが、母が死ぬやいなや、ムヒョンと再婚し、そのまま実家に居座ることになったのであった。そんな経緯があり、姉妹が帰宅して早々不協和音が生じ始め、家の中は異様な空気で満たされるようになった。ある夜、スヨンが家の中に何者かの影を察知し、スミにそれを訴える。怯えるスヨンを抱きかかえ、スミが眠りに就くと、死んだはずの母が自分を見下ろす悪夢にうなされ、目を覚ますのだった。翌日、スミはスヨンの腕に傷と痣を見つけ、ウンジュによるものではないかと問い質す。スミとウンジュの対立はいよいよ深まっていくのだが・・・。

韓国の伝統的なお伽話?「薔花紅蓮伝」をモチーフにしたホラー作品らしい。薔花紅蓮伝は、日本でいうところの怪談お岩さん的な位置付けの復讐譚の様だけど、本作の雰囲気はかなり異なる。母の突然の死がきっかけで、精神が崩壊してしまった少女スミによる、虚実入り混じった世界観が表現されているワケなのだけど、最後まで何が何やらって感じで、狐につままれた様な鑑賞後感ですな。結局、実家にはムヒョンとスミしかおらず、残りの要素は全てスミが脳内補完していたって事なのかしら。「箪笥」というのは、スヨンの部屋にある観音開きの小さいワードローブで、ここぞというところで登場するのだけど、わざわざタイトルに据える程でもない様に思う。こんなタイトルにしているのは日本だけで、他国では「姉妹」の方がフィーチャーされているし、実際にその通りの内容になっているから、妙な先入観を持たせるのは良くない。本作をハリウッドリメイクした「ゲスト」という作品を先に観ていたけど、全く別モノと言っていいくらい内容が違っているのよね。「ゲスト」の方が取っ付き易いし面白かったんだけど、韓国のアンティークな調度品を観察できるという点では、本作もなかなか有意義だったかなと。

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