チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

キラネーの影響。

案の定、雪ではなく氷雨が降っている。風も強い。昨日の時点であちこちが雪融けで水浸しだったが、それが更に悪化すると思うと気持ちも萎えるし、こんな天気でも外出しなければならないからイライラする。

一昨日の児童殺人事件で逮捕された男の名前が、オーシューというちょっと変わった名前だったのが印象に残った。この名前がいわゆるキラキラネーム(キラネー)かどうかはともかくとして、露骨に奇を衒い、個性を逸脱する様な名前が増えているのはなんだかなぁと思う。名前がもたらす人生への影響というのは、それなりに良い研究題材となりそうだが、当然、僕にはそんな能力も無ければやる気も無いから、誰か偉い人に取り組んでもらいたいところだ。いや、ひょっとしたらもう誰かが着手しているかもしれない。

僕の名前は使われている漢字こそ凡庸なモノだが、読みが当て字の為に、まず初対面の人に正しく読んでもらえない。その都度説明するのが面倒だから、誤読されたまま、放っておくこともしばしばだ。今でこそ、もうどうでもいい記号の一種と化した自分の名前だが、若かりし頃、とりわけ学生時分はこの名前が嫌いでコンプレックスだった。それで親を恨んでいるワケではないが、名前が簡単に変更できるのなら、どこかの段階で捨ててしまっていたかも知れない。これがキラネーだったらどうだろう。読めないならまだしも、周囲から浮いたり、いじめを助長したり、名付けはバカ親が考える以上に難しくセンシティブな問題だと思う。名前がキラネーで人生ハードゲーム確定なんて悲惨だ。親になれず、子に名付けの機会が無かった僕は、その点において安堵している。キラネーなんていらねー。これが言いたかった。

 

映画鑑賞記

塩浜雅之監督作「51 世界で一番小さく生まれたパンダ」(2012)

中国四川省成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地で飼育されている、パンダ達の繁殖事情に焦点を当てたドキュメンタリー作品。

日本だとパンダの飼育頭数が限られているし、そうでなくとも絶滅危惧種だから、その繁殖と出産自体が珍しい出来事の様に感じられるのだが、本場中国のパンダ基地ともなれば、繁殖シーズンにはポコポコ誕生して、随分賑やかなものだ。もちろんそれだけの経験とノウハウがあるからこそ成せる業なのだろう。パンダはしばしば双子を出産するのだが、母親はどちらか一方しか育てない為に、もう一方は見捨てられ、死んでしまう。これは自然界の動物ではさほど珍しい事では無いが、飼育下では当然、見捨てられた子も適切な環境で存命させる。本作ではそんなパンダの双子の1頭として生まれた個体に焦点を当てる。その個体は極端に未熟な状態で生まれた為に、母親には見向きもされず、またその余りの小ささ故に、観察していた飼育員達もすぐには気付かなかった。パンダはまさに「小さく産んで大きく育てる」タイプの動物で、通常、子供は150g前後で生まれてくるところを、その個体は51gしか無かった。自然界なら確実に死んでしまうはずの個体である。ちなみに双子の兄の方は通常の大きさで、比べてみると一目瞭然だ。51から「ウーイー」と命名されたその個体は、飼育員の献身的な救護措置を受け、一命を取り留める。これだけ未熟な状態だとその後の発育が危ぶまれそうなものだが、一ヶ月もすると兄とほとんど変わらない大きさへと成長するのだから不思議なものだ。本作ではこのウーイーのエピソードを中心にして、基地における飼育、繁殖、子育ての様子など、単に愛くるしいだけではないパンダの生態に肉薄しており、非常に興味深い。子供を出産したものの、どう扱ってよいか分からず途方に暮れる親もいれば、自分の子供でなくとも、我が子の様に愛おしむ親もいる。出産時は親の自覚を持てなくとも、次第に親らしい振る舞いを獲得していく個体もいる。なんとも不思議で魅力的な動物だ。僕もいつか生きている間に実物のパンダを拝んでみたいが、どうなることやら。来世はパンダで生まれてきたい。

成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地で、パンダの様子がLIVE中継で観られる事が分かり、僕はとても嬉しい。

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