チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

甲子園のサイレンを聞く度に「ア~」と間抜けな声で真似してしまうのはなぜなのか。

帰宅部系の私にはどうでもいい甲子園が始まった。本州以南では台風が猛威を振るって大変そうなのだが、こちらは今日も快晴でほんのり風もあって心地良い。日差しが照りつけても風があるのと無いのとでは大違いだ。毎日こんな陽気なら過ごしやすいのに、どうもそうは問屋が卸さないらしく、明日以降、台風の余波に見舞われる予報になっているから鬱陶しい。しかし、例年だとこの辺から徐々に気温が下がり始めて、秋モードにシフトしていくので、もう少しの辛抱だ。秋が待ち遠しくて仕方ない。それはさておき、私の住むボロアパートから目と鼻の先の距離にあった廃屋がいつの間にか取り壊されて、三階建の家の新築工事が行われている。いつだったか、猫が住み着いていて生まれたばかりの子猫が鳴き声を発しているのが聴こえた、という事を書いた記憶があるが、まさにその廃屋である。面積自体は小さいので、庭も無い小じんまりとした家になりそうだが、さりとて三階建である。通り掛かる度にどんな造りになっているのかついつい覗いてしまう。私はこれまで三階建の住宅には立ち入った事がおそらく無く、それどころか他人様の家に上がったのは中学時代の友人宅が最後だから、戸建て住宅には興味津々なのである。団地とアパートしか知らない底辺の私からすれば、小さくても庭がある家なんてパラダイスに思える。この時期は方々で庭に家族が集まってBBQに興じる光景を目にするが、戸建てを手に入れた勝者ならではの宴だろう。私も来世か来々世にはそんな暮らしをしてみたい。

マイルドな自傷癖のせいで私の指の皮がズルムケ状態になり見苦しいったらありゃしない。

週に一、二度は家で洗濯をせねばならないのだが、なにぶん乾燥は部屋干し一択ゆえに、除湿機の衣類乾燥モードを使用するほかなく、蒸し暑い汚部屋の温度を排熱でわざわざ上げるのが本当にアホらしい。昨日、今日と朝の割合涼しい内から、溜まっていた衣類の洗濯をして部屋干しを始めるも、すぐに室温が30度近くまで上がってしまう。その上、ある程度乾くまでは扇風機も併用するから、自分に風を当てられず、涼を取るためにひたすら冷コーをがぶ飲みしている。こんな生活だから慢性的に腹チャポ状態になり、何もしていないのに常に疲労感に苛まれている。ときに最近、日中の睡魔を振り払う為に、指先の爪の周りの皮を噛んで剥く癖が付いてしまった。執拗に剥き続けて出血するまで止められない。出血すると別の指に同じ事を繰り返し、今や10本全ての指の皮が醜く剥けている。指はアトピーがほとんど侵襲してこないので、体の中でも割りと見栄えが良く、気に入っている部位だったのに、なんとも無様な姿だ。これもマイルドな自傷癖の一種だろうか。或いは幼児退行かも知れない。このまま進行すると逆コナン状態どころか、心は幼児、体はジジイという、それは恐ろしいモンスターが出来上がってしまう。どうにかしてこの悪癖を早急に断ち切りたい。

私の脳みそいよいよ溶け始めているのかもと思わせる夏の夜のサマータイムブルース。

先日ポチったカフェインレスコーヒー12本セットが昨晩届いた。これだけあれば今夏は乗り切れるかも知れない。最寄りのスーパーからは消えてしまったので、今後はこうして通販で買うか、或いはちょっと遠いDSまで行って一本単位で買うしかない。しかし、スーパーが取扱いを止めるくらいだから、DSもこの先どうなるか分かったものでは無い。今更カフェインレス無しの生活はあり得ないので、ネスカフェには末永く、願わくば私がタヒぬまで、このカフェインレスのボトルを販売し続けて欲しい。需要はそれなりにありそうだが、実際はそうでも無いのだろうか。それはさておき、昨日はやや暑い日だったので、晩飯に蕎麦を食べようと随分早い段階から決めていたのだが、いざ蕎麦を茹でる直前になって麺つゆを切らしていた事を思い出した。先日、素麺を食べた際に完全に使い果たしたので、空き瓶をリマインダー代わりにキッチンの直下に置きっぱにしておいたにも関わらず、終ぞ一度もスーパーで思い出す事は無かった。これは明らかに加齢に伴う認知能力の低下では無いだろうか。単なる物忘れでは無く、未来予測ができていないのだから深刻である。昨晩は舌が完全に蕎麦を食べるモードになっていたので、直前になってそれを諦めざるを得なかったのは口惜しかったが、それ以上に麺つゆを買うのを失念していたのがショックだった。普通に社会生活を営んでいたら、これほどまでに脳は劣化しないだろう。いよいよ年貢の納め時かも知れない。