チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

「屁」溜まり。

はよ寝なきゃいけない時に限って、なかなか眠りに就けないのはなんなんだろうね、まったく。今日はちょいとお勤めの予定あるので、昨夜は珍しく目覚ましをセットして早めに床に就いたのに、思い出す限り1時間半くらいは悶々として眠れなかった。寝返りを打っては安眠ポジションを探し、普段どうやって眠りに落ちていくのか、愚にもつかないコトを考え始めるのだが、それ自体が無駄な労力となり、就寝を阻害してくれるワケ。んで、結局目覚ましナシで起床したものの、睡眠時間は少ないため、カラダには疲労感というか徒労感が残ったままで、端的に言えばダルい。日中、生産的な活動を何一つしていないのに、何故かダルい。腸にガスが溜まるんだよね。まぁ有り体に言えば「屁」なんだけど、リーマソ時代は毎日ストレス過多で、この「屁」溜まりに苦しんでいたわ。最近はガスピタンなるクスリがあるそうだけど、アレは果たして効くのかしら。また働きに出られたら、お世話になるかも知れないなぁ。

 

映画鑑賞記

ローリーン・スカファリア監督作「エンド・オブ・ザ・ワールド」("Seeking a Friend for the End of the World" : 2012)

終末系SFラブストーリー作品。小惑星の衝突により地球が壊滅的な被害を受けるまで、残りあと3週間という設定。しがないリーマソのオッサン、ドッジは衝突まで3週間という日に妻に逃げられ、一人ぼっちになってしまう。母は既に亡くなっており、父は蒸発したままで、唯一、昔の恋人だったオリヴィアだけが心のよすが。街はその機能を失い始め、さながら無法状態となり、人々は暴徒と化していく。そんな時、階下に住む女ペニーと知り合う。んで、一緒にオリヴィアを探しに行ったり、ペニーを家族の元に送り届けようと奔走したり。その道すがら、終末という極限状態が二人をイイ感じにしていくワケですな。派手さはないものの、ジワジワ来るほのぼの加減がメンタルにとてもやさすいです。最期の日を目前にして、人々は好き勝手に振る舞い始め、インフラは止まり、ニュースキャスターが別れの挨拶を告げる。本当にこんなコトが現実に起こりそうで、SFながらもしんみりしてしまったわ。原題のままの方が、この切なさのニュアンスを上手く捉えていていいかも。しかし犬を出すのがズルいよなぁ、かわいすぎ(笑)

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