チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

グローリー/明日への行進

エイヴァ・デュヴァーネイ監督作「グローリー/明日への行進」("Selma" : 2014)[DVD]

黒人差別を解消すべく、非暴力による公民権運動を主導するキング牧師が、黒人の選挙権を求めて、同志と共に決死のデモ行進に挑む様を描く歴史ドラマ作品。

 

真の平等を求め、白人至上主義と戦う南部キリスト教指導者会議(SCLC)を主導する牧師マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、国内二千万人の黒人同胞の代表として、1964年度ノーベル平和賞を受賞する。程なく、キングは、半年前に公民権法を制定させたジョンソン大統領とホワイトハウスで会談する。ジョンソンは公民権法の履行が政権の最重要課題と説く一方で、マルコムXら武闘派グループによる過激さを増す暴動を抑止すべく、キングを利用しようと目論む。キングは黒人が憲法上、選挙権を有していながら、南部では白人の威嚇や脅迫を受け、投票所の中に入れさえしない事を明かすと、黒人の選挙権を保障する連邦法の制定と、有権者登録の申請を行った黒人に対する不当な解雇や、申請拒否を禁じる連邦議定書の発効、及び議定案の確固たる実施を要求する。ジョンソンは国内に蔓延る貧困への対策こそが、政治的には最優先される事項であり、選挙権はその後だと説き、理解を促す。キングは南部では数千人に上る黒人が差別の末に殺されているにも関わらず、殺人を犯した者が誰一人として有罪とならない現状を明かすと、その理由が陪審員が全員白人だからであり、陪審員になるには有権者登録が必要だからだと説き、これ以上は待てないと強く主張する。ジョンソンは今しばらく待つ様に求める。

ジョンソンに対し、FBI長官フーヴァーは、キング夫妻の間に亀裂が入っている事を明かし、家庭の崩壊を誘う事でキングの気勢を削ぐ事を提案する。キングが妻コレッタ、娘達と暮らすアトランタの自宅では、昼夜を問わず、脅迫電話が掛かって来ており、コレッタは心労を募らせる。帰宅したキングは、SCLCの側近らと共にセルマに赴く意向をコレッタに伝える。コレッタはキングが命の危険を顧みずに活動に心血を注ぐ事を快く思っておらず、夫妻は折り合いが悪くなる。

セルマ入りしたキングは、教会に集った支持者達の前で演説を行い、差別の犠牲になった同胞達の無念を晴らすべく、命を賭けても選挙権を獲得し、運命を自らの手で切り開く決意を説く事で、支持者達を高揚させる。その一方、セルマにおいて長らく黒人の意識向上を図るべく、草の根運動を続けてきた、学生非暴力調整委員SNCCは、キングの主導する交渉、デモ、抵抗により白人の意識に働きかける活動に疑義を呈し、SCLCと反目する。キングはSNCCの活動を評価しつつ、オルバニーでの失敗を反省し、セルマでは理知的とは程遠い郡保安官クラークの敵失を誘う事で、首尾よくニュースメディアに取り上げられる様なドラマを生み出す方策を説く。

翌日、キングは側近と共に支持者を率いて、郡庁舎へと行進する。庁舎ではクラークが部下と共に守備を固める。キングは有権者登録に来た事を伝え、座り込みを行う。クラークはそれが妨害行為だと説き、解散しなければ全員逮捕すると脅すと、難癖を付けて、黒人の青年に暴力を振るう。それに憤怒した婦人がクラークを殴りつけると、婦人は直ちに制圧され、キングは騒動の廉で側近アバナシーと共に逮捕、収監される。筋金入りの黒人差別主義者であるアラバマ州知事ウォレスは会見に臨み、人種隔離政策こそがあるべき国の姿だと主張し、秩序を乱す変革運動を真っ向から否定する。

翌日のニューヨーク・タイムズ朝刊に、保安官が数人がかりで黒人の婦人を取り押さえている写真が掲載され、騒動は全米に知れ渡る。収監されたキングはアバナシーに疲労を訴え、活動の意味を見失いかけている事を吐露する。アバナシーは地道にやるしかないと諭す。一方、コレッタは教会でマルコムXと密かに会談する。これまでキングの非暴力に徹する運動方針を苛烈に批判し、対立を煽ってきたマルコムXは、考え方が違うだけで敵では無いと説き、方針を変えた事を明かすと、自分を利用し、ジョンソンとの交渉を有利に進める事を提案する。コレッタは房内のキングに、マルコムXの意向を伝える。キングは反発するが、コレッタに従う。ウォレスはキングとマルコムXが手を結び、ジョンソンを追い詰める事を警戒する。州兵のリンゴ大佐は、キングが釈放後、カリフォルニアに赴く意向を示している一方で、その夜、非公式の黒人の行進が予定されている事を明かすと、州兵を出動させ、メディアに察知されぬ様に行進を制圧する事で黒人の気勢を削ぐ企てを進言する。ウォレスはそれを支持し、州兵達は行進を始めた黒人達に暴虐の限りを尽くす。その際、食堂に逃げ込んだ青年ジミーが兵士に射殺される。

その報せを受けたキングは直ちにセルマに戻り、ジミーに同伴していた祖父母に弔慰を伝えた後、教会で集会を開く。キングは投票を夢見ていたジミーの殺害が、偏見と憎悪を煽るだけのウォレスによって行われたのであり、ジミーの死を傍観する事は同胞とて許されないと説くと、夢の実現を諦めず、仇を取る事を聴衆の前で誓う。

キングは再びジョンソンと会談する。キングはジミーが国に殺されたのだと主張し、ベトナム戦争で大金を垂れ流しておきながら、国民の命を救う気概すら無いのかと痛烈に非難すると、セルマからモンゴメリーまで80キロの抗議の行進を企図している事を明かす。ジョンソンは到着までに死者が出る事を危惧すると共に、年内の新法提出が無理である事の理解を求める。一方、キングの自宅には相変わらず家族への脅迫電話が相次ぐ。コレッタは死と隣り合わせの生活に疲弊を極め、キングに自分への愛を確認する様になる。そこにはフーヴァーとジョンソンによる、夫妻の仲を引き裂こうとする計略が働く。

程なく、行進の初日を迎える。SCLCの幹部全員の逮捕を避けるべく、その内の一人ホゼアが行進を先導する事が決まる。ホゼアと、SNCCと袂を分かったジョンを筆頭に、500人超の黒人が教会を出発した後、列を成して厳かに、整然と、ペタス橋へと向かう。橋の向こう側では、クラークを始めとする保安官、州警察、民兵隊、騎馬警官、更に野次馬の集団が黒人達を待ち受ける。行進の様子は臨時ニュースとして全米に生中継される。ホゼア達は橋を渡り終え、白人達と対峙する。州警察は行進が不法集会だと指摘し、即刻中止、解散を命じると、応じない黒人に一斉に襲いかかる。警官達は逃げ惑う黒人達に催涙弾を浴びせ、苛烈な暴力を加える事で制圧し、黒人の多数が負傷する。

その日の行進が中止を余儀なくされると、キングは再び橋に戻って行進を再開すべきだと側近らに主張する。その後、キングは会見に臨み、全てのアメリカ人が同胞としてセルマでの蛮行の責を負っているのだと主張すると、人が皆平等だと信じ、非人道的な蛮行に抗する者は、セルマに集い、共に行進する様に呼びかける。それに呼応し、全米各地から白人を含む数千人規模の有志市民がセルマに集い始める。

キング達はウォレスによる禁止命令の決定を覆す様に連邦裁判事に求める。一方、ジョンソンは白人の暴力により、黒人の負傷者が出て、それが配信される度に支持者が増えていく状況を懸念し、ウォレス、キング共に自制する様に働きかける。キングはジョンソンの使者に対し、ジョンソンや判事との対立を望んでいない事を伝え、ジョンソンが新法に署名すれば解決できる事だと説く。

キングはセルマに集結した市民を先導し、行進を開始する。ペタス橋へと進行したキング達は橋の上で警察隊と対峙するが、間もなく警察隊は道を開ける。キングはそれを見て、一人踵を返し、その日の行進は中止される。キングの独断は支持者達に非難される。キングは敵の策謀の可能性を説くと、人が傷つき、死ぬよりも、憎まれ役になる事を選ぶと主張する。その後、キングは信頼を失いかけているコレッタに手紙を書く。キングはその中で、これまで多くを犠牲にし、今後どれだけ失えば良いのかという苦悩を吐露すると、家族が心の拠り所であり、コレッタの信頼を取り戻したいと訴える。その夜、行進に加わった白人の牧師が、同じく白人の暴徒にリンチを受け、殺される。

翌朝、その報せを受けたキングは直ちにジョンソンに連絡する。ジョンソンは各地でデモが起きており、手に負えないと訴える。キングはジョンソンだけがそれに対処できるのだと説き、決断を迫るが、ジョンソンが動こうとしない事に業を煮やし、窮余の策を練る。

キング達は州知事決定の差止請求の審理に漕ぎ着ける。審議の末に判事は、州政府の不正の大きさに鑑み、デモをする権利の拡大を受け入れ、モンゴメリーへの5日間の行進を認める。判事の決定を受け、ジョンソンは行進の妨害をせぬ様にウォレスに通知する。ウォレスはジョンソンとの会談に臨む。ジョンソンは職責を果たす様にウォレスに命じるが、ウォレスは州には州の方法があり、それが住民も望む政策だと説くと、黒人の権利を拡大すれば増長の一途を辿ると強弁する。ジョンソンはウォレスに自発的な行動を促す事を諦める。

ジョンソンは全米で選挙権の制限を撤廃する法律の提出を発表する。キングは行進の途上で、セルマ、モンゴメリーの合間に位置するラウンズ郡で、不測の事態が生じる危険性を指摘されるが、それを意に介さず、5日間の行進に臨む。大勢の仲間達と共に無事、モンゴメリーに到着したキングは、州庁舎の前で演説を行い、市民として正当な扱いを受ける為に、真実と自由へ止まる事無く前進を続けようと高らかに宣言する。それから五ヶ月後、ジョンソンはキングを伴い、投票権法に署名する。13年間、非暴力を貫き、公民権運動を牽引したキングは、1968年に凶弾に倒れ、39歳の若さでこの世を後にする。

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