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チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。4年目。

マイケル・ムーアの世界侵略のススメ

映画鑑賞記

マイケル・ムーア監督作「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」("Where to Invade Next" : 2015)[DVD]

マイケル・ムーア監督自身が、アメリカの諸問題を解決する為の方策を得るべく、世界各国を「侵略」の名の下に歴訪する旅の様子を描くドキュメンタリー作品。

 

国防総省の統合参謀本部に呼ばれたマイケル・ムーアは、米国が第二次大戦以降、負け戦を続け、更なる戦争を生み出す要因を生み出している事について助言を求められる。ムーアは軍隊では解決できない問題があると主張し、海兵隊の代わりに自らが白人の国々を「侵略」し、必要なモノを持ち帰る事を提案する。

ムーアはまずイタリアを訪ね、ある労働者階級のカップルの話を聞く。ムーアは彼らには有給休暇が正味8週間あり、使い切らなかった分は翌年に持ち越せる事、また12月には主にバカンスに費消する一ヶ月分の上乗せ給与が払われる事を知る。ムーアはイタリアの会社が高待遇を維持できる理由を探るべく、有名ブランドのOEMを手がけるラルディーニ社を訪ねる。経営陣は有給休暇が労働者の正当な権利であり、社員のストレスの解消が会社の利益になると主張する。また彼らは、社員と良好な関係を築く事が自らの報酬より大切だと説く。ムーアは社員達が皆、二時間の昼休憩に帰宅して家族とランチを楽しむ様子を目の当たりにする。次にムーアはドゥカティ社を訪ねる。CEOは会社の利益と社員の福利厚生は両立できると主張する。労働組合の委員長は福利厚生は社員が力を合わせて獲得したものだと胸を張る。ムーアがアメリカでは有給休暇がゼロだという事を明かすと、イタリア人は一様に絶句する。ムーアは社員の幸福度が高いからこそ、イタリアの生産性が高いのだと知る。

次にムーアはフランスの片田舎の村の小学校の食堂を訪ね、一流レストランと見紛うばかりの立派な給食に目を疑う。フランスの給食は、子供達に食事がいかに大切かを学んでもらう為の場であり、子供達は授業の一環として、正しいマナーを学び、給仕されるコース料理を楽しむのだという。ムーアがアメリカの給食を見せると、子供達はその酷さに絶句する。しかしながら、一食当たりの給食の予算はアメリカよりフランスの方が安い。また、フランスでは医療は無料で、保育園もほぼ無料である。アメリカに比べると税金が高いと言われるフランスだが、諸々にかかる税金同然の費用を加味すると、アメリカの方が遥かに負担が高い。またフランスは性教育の面でも優れており、10代の妊娠率はアメリカの半分だという。

次にムーアは生徒の学力がトップレベルを誇るというフィンランドを訪ねる。元々、学力テストはアメリカと同レベルだったフィンランドは、新手法を導入する事で世界一に輝いた。子供らしく日々を楽しませる為に宿題を廃止したのである。宿題という概念が時代遅れであり、放課後に友達や家族と過ごしたり、色んな経験をする事がより重要なのだという。更にフィンランドの学校は西欧諸国で最も授業が少ないが、それにも関わらず学力が伸びており、実際にムーアが会った高校生達は数ヶ国語を話す事を明かす。教員達は学力を上げる為には統一テストを廃止すべきだとムーアに提案し、点を取る訓練は教育では無いと主張する。アメリカでは授業の多くが試験対策に割かれ、試験科目でない授業は省かれる。一方、フィンランドでは、子供達の脳が活性化する、音楽、美術、調理などの様な科目も重視する。また、フィンランドではどの学校も全て同じレベルであり、学校選びの必要が生じない。授業料を取るのは違法であり、私立校はほとんど無い。故に、様々な境遇の子供が公立校で一緒に育ち、自他共に尊重し、幸せに生きる方法を学ぶのだという。

次にムーアは、大学の学費が無料の国の一つ、スロベニアを訪ねる。スロベニアは学校のレベルの高さも然ることながら、外国人留学生の学費も税金で賄われる。教育は公共の利益と見做されているからである。政府が学費を取ると発表した際には、学生達の猛反発を受け、抗議のデモの末に政権交代にまで追いやられた。

次にムーアはドイツの中産階級が働く鉛筆メーカーを訪ねる。窓を備え、町並みに溶け込む開放的な工場では、社員達は週36時間勤務で40時間分の給与を得て、伸びやかに働いている。彼らは午後2時には仕事を終え、余暇を悠々自適に過ごすという。社長はムーアに対し、社員が健康だからこそ、良い製品ができるのだと主張する。ドイツでは国民皆保険制度により、ストレス過多と判断されると、処方箋をもらえ、無料でスパに3週間滞在できるという。深刻な病気を防ぐ事で、国にとっても結局は安上がりになるからである。また、ドイツの企業には監査役会の設置義務があり、労働者の代表が半数以上を占める様に指定されている。これにより、会社に不正があった場合、内部告発が促される事となる。会社は社員の要望を聞き入れ、社員は会社により貢献する様になるという。更にドイツでは休暇中の社員に接触するのは違法とされており、多くの会社が休暇中や終業後の社員の生活にメールをするなどして介入しない様に、規則を設けている。一方、ドイツの学校では、祖先がもたらした大虐殺の悲劇を、子供達がありのままに学び、過去の出来事だと無かった事にはせず、二度と過ちを繰り返さない様に意識付けがなされる。これにより、国民は自分達の邪悪な側面を認め、常に罪の償いと、人に良くする術を考えるのだという。

次にムーアはポルトガルを訪ね、メーデー集会に参加する。アメリカではメーデーは祝日とされていない。ムーアは警察官らと会い、ポルトガルではあらゆるドラッグが違法では無い事を知る。ポルトガルではドラッグを非犯罪化し、逮捕者を減らしたところ、ドラッグの使用率を下げる事にも成功したという。かつてアメリカでは、「ドラッグとの戦い」との名の下、国を挙げた麻薬撲滅運動に託けて、公然と黒人の排除がなされた歴史がある。黒人達はただで使える労働者として、刑務所でモノづくりに従事させられる事になり、それは今世紀の奴隷制そのものであった。薬物対策課の担当者はムーアに対し、ドラッグを非犯罪化するだけでは無く、医療を無料にし、治療を受けやすくすべきだと説く。また、警察官らは尊厳こそ社会の要であり、死刑制度がある限り、人の尊厳は守れないと説く。

次にムーアは、ノルウェーの風光明媚な住宅街を思わせる刑務所を訪ねる。受刑者115人に対し、看守4人というその刑務所は社会復帰の為の施設であり、受刑者は殺人犯であっても個別に宿舎の一室が与えられ、鍵も自らが所有し、敷地から出さえしなければ自由に生活する事が許されている。家族や友人と離れて自由を制限されるのが、唯一の罰との考えに基づくものだが、アメリカの劣悪な環境の刑務所を経験した受刑者の80%が5年以内に再逮捕される一方、ノルウェーは世界最小の20%であるところにその効果が現れている。ムーアはその足で厳重警備刑務所にも訪れる。ここでも受刑者に個室が与えられ、鍵も自らが所持する事が許されている。生活環境は完備され、受刑者は美術や哲学、音楽などの講座を自由に受講する事で、才能を開花させる仕組みが揃っている。看守は銃を持たず、受刑者に丁寧に接する事で良好な関係を築いている。世界最大の連続殺人犯に愛息を殺された親の一人はムーアに対し、司法制度による公正な裁きと判決のみを望み、復讐は望まないと主張する。復讐は犯人と同レベルに落ちる事であり、憎しみを増すだけだという。ノルウェーの最長の実刑判決は件の殺人犯に科せられた21年、それでもノルウェーの殺人事件発生率は世界一の低さを誇っている。

次にムーアはチュニジアを訪ねる。チュニジアでは女性が男性と対等に扱われる様な施策が採用されている。女性に教育と仕事があれば、生活の質が向上し、寿命が長くなるという考えに基づいている。2011年の革命においても、女性は重要な役割を果たしたという。この革命により、独裁者は倒され、民主政権ができたはずだったが、新政権が女性の権利を剥奪した為、これに女性達は猛反発した。女性達は社会に居場所があるのだと主張する大規模な活動を展開し、国民の大多数を味方に付ける事に成功した。これにより、女性の権利を擁護し、男女平等を認める新憲法が制定された。保守系政権は民意に従い、退陣を余儀なくされたという。

次にムーアはアイスランドを訪ねる。アイスランドでは1975年の女性達の一斉ストライキにより、女性の価値を見直させる事に成功した。そして5年後には、民選では世界初の女性大統領が誕生した。シングルマザーだったその大統領は世界の模範となった。女性のCEO3人はムーアに対し、アイスランドは女性が生きるには最高の国だと主張する。アイスランドでは役員会や議会において、女性が半数を占める様に決まっている。リーマンショックに端を発する経済崩壊でアイスランドの三大銀行が破綻した時、黒字を維持した銀行は女性が経営していた一行だけだった。その銀行を経営する女性は、男性が実績や報酬に固執する一方、女性は全体の利益を追うのだと説く。当時、アメリカではイスラム系以外の銀行家で刑事裁判にかけられた者はいなかったが、アイスランドでは70人近い銀行家が起訴され、有罪となった。そして、金融上の決断を女性に委ね、経済を完全に回復させたのだという。ムーアはアメリカ人が互いに支え合うという気持ちに欠けている事を痛感し、女性の視点を取り入れる必要性を学ぶ。

ムーアは「侵略」の旅の終着点として、ベルリンの壁を訪ね、旧知の友人と会う。1989年11月、ベルリンを旅行中だったムーアは、友人が壁をノミとハンマーで叩いていると聞き、見に行ったのだという。ムーアは当時、永遠に続くものとして、崩壊など考えられなかった障壁が、30年を経て一夜にして崩れた事が不可能は無いという証明であり、難しそうに見える諸問題の解決も実はシンプルなのだという思いを新たにする。「侵略」の旅で訪れた各国の素晴らしい仕組みは、どれもそもそもはアメリカ発のアイデアが元になっていた。ムーアは自分達がその力を持っているという確信を深め、帰国の途につくのだった。

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