チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

仄暗いスーパーにて。

昨日、火曜市目当てにマックスバリュに入ったら、思わず「うわ暗い・・・」と仰け反ってしまった。今週から節電要請期間に入り、結構な勢いで節電を始めたようだ。昨年も電灯をいくつか間引いて対応しているのは見ていたものの、今年ほどではなかった気がする。スーパーだからって必ずしも煌々としている必要はないだろうが、あの薄暗さにはちょっと異様な空気を感じてしまったワケで、いったい節電への寄与が如何程か、気になるところではある。ときにこの管内では、主要な火力発電1基の停止で即座に需給逼迫しそうな状態らしいので、暖を取れない事態に見舞われるくらいならと思えば、この対応も已む無しか。ガス・石油暖房も電気あっての物種だからなぁ。しかしエネルギー政策は相変わらず流動的だのう。秘密なんちゃら法よりよっぽど優先すべき事案だと思うのだが。「トイレなきマンション」にトイレができる日は来るのかしら。

 

映画鑑賞記

君塚良一監督作「遺体 明日への十日間」

石井光太著「遺体 震災、津波の果てに」の映画化作品。原作は読了済。原作では著者が震災直後の釜石市を取材して回り、現場の声を丹念に拾い集めたルポになっていたので、果たしてこれをどう映画化したのか、ちょっと不安だったのだが、コンパクトな構成でそつのない仕上がりといった感じ。釜石市内で遺体安置所となった中学校の体育館を舞台に、震災から十日間、そこで働く人達の奮闘ぶりと人間模様を淡々と描く内容となっており、主人公を西田敏行演じる民生委員に据えることで、映画ならではの物語性を付与している。実際は、というより僕が原作から得た感覚では、もっと生々しく、凄惨を極めた現場だったのだと推察するが、本作では過剰な演出はなされず、努めて抑制的な表現に終始している様に思う。もちろんリアリティを損なわない程度には再現しているのだろうし、後世に生きる人に取って、震災直後の一つの現実を知る貴重な作品になるんじゃないかなと。

f:id:horohhoo:20131204072715j:plain

f:id:horohhoo:20131204072721j:plain

f:id:horohhoo:20131204072732j:plain

f:id:horohhoo:20131204072737j:plain

f:id:horohhoo:20131204072742j:plain