チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

完全なるチェックメイト

エドワード・ズウィック監督作「完全なるチェックメイト」("Pawn Sacrifice" : 2014)[BD]

天才的なチェスの腕前を持つ米国籍の男が、精神異常を来しながらも冷戦下のソ連の選手を下し、米国史上初のチェス世界王者に輝くまでの軌跡を描く伝記ドラマ作品。

 

1951年、ニューヨーク。8歳のボビー・フィッシャーはロシア移民で共産主義革命の実現を願う母レジーナと姉ジョーンとブルックリンの一角で暮らしていた。フィッシャーは独学でチェスにのめり込む一方で、次第に偏執病の徴候を発現する。フィッシャーを心配するレジーナは、チェスクラブの有力プレイヤーのカーマインに対戦を依頼し、負け知らずのフィッシャーが負けたらチェスを諦めさせようと企てる。フィッシャーはカーマインに初めての敗北を喫して涙するが、より一層闘争心を燃やし始める。カーマインはフィッシャーに才能がある事を認める。

フィッシャーはしばらくカーマインに師事し、クラブで大人のプレイヤー達と対戦を重ねる事で俄に注目を集めていく。フィッシャーは12歳で米国のグランドマスターに勝利し、国内で最年少のチェス王者に輝く。一方、ソ連ではボリス・スパスキーが頭角を現しており、フィッシャーはその存在を雑誌で知る。世界王者を目指して日夜修練に明け暮れるフィッシャーは、レジーナが恋人シリルを連れ込んで騒ぐ事に憤慨すると、静寂の必要性を訴えてレジーナに出ていくよう命じる。フィッシャーは家を出てクラブで寝泊まりを始める。間もなく、ジョーンはレジーナがシリルとカリフォルニアに移った事、レジーナがフィッシャーを心配している事を伝えにやってきて、フィッシャーに家に戻るよう促す。その後、フィッシャーはユーゴスラビアで史上最年少のグランドマスターとなり、ソ連のプレイヤーとの対戦を希望する。フィッシャーはインターゾーン大会で優勝し、世界選手権で王者と対決する最有力候補となる。

1962年、フィッシャーはブルガリアのヴァルナで開催されるチェス・オリンピアードに参加し、スパスキーを含むソ連勢も参加する。フィッシャーはソ連のプレイヤーとの対局を終えるなり、ソ連勢が共謀して自分を勝たせない様にしており、また、その不正を連盟が止めようとしないと訴える。フィッシャーは自分なしでは真の王者は生まれないと主張し、不公平で不道徳な試合からの棄権とチェス自体を止める事を宣言して会場を飛び出す。ブルックリンに戻ったフィッシャーは失望しながらもチェスを続け、雑誌でスパスキーが新王者になった事を知る。

1965年、フィッシャーの前に弁護士のマーシャルが現れる。マーシャルはカリフォルニアで開催される親善試合に、ソ連の選手団が友好を深めるという名目で乗り込んでくる事を明かすと、彼らがチェスによって退廃的な西欧より知的で優秀な事を証明し、米国を侮辱しようと企てているのだと説く。政治にまるで興味がないフィッシャーはその話を聞き流すが、マーシャルは愛国者としてフィッシャーがソ連に勝つのを最前列で見届ける事を希望し、無償で代理人になる事を申し出る。フィッシャーは試合に戻る条件として全てを公平にするよう求め、マーシャルは応諾する。マーシャルは、選抜委員にして若かりし頃にスパスキーに勝利した事もある神父ロンバーディに、フィッシャーのセコンドを担うよう要請する。ロンバーディはフィッシャーが問題を抱えており、心が崩壊する事を懸念し、難色を示す。マーシャルはクラブでフィッシャーにロンバーディを紹介する。フィッシャーはロンバーディに会うなり、自らの研究を元にしたソ連勢を打ち負かす有力な策を開陳する。ロンバーディはフィッシャーの打ち手を見て感嘆し、セコンドに付く。

親善試合が開催されるロサンゼルスにソ連グランドマスター、スパスキー率いるソ連の選手団が到着し、ビバリー・ヒルトンに宿泊する。それに反してフィッシャーは大きく見劣りするモーテルへの宿泊を余儀なくされ、マーシャルに不満を訴える。フィッシャーはモーテルに滞在する娼婦ドナに誘われてビーチを散歩し、童貞を捨てる意向を示す。試合当日、フィッシャーは開始時間ぎりぎりになって会場入りし、世界三位のプレイヤーと対戦する。フィッシャーは勝利を収めるも待遇に不満を訴え、ソ連勢と同様にリムジンで会場入りする事、チケットの売上三割を報酬に支払う事、観客との距離を空ける事などの条件が満たされない限り、試合に応じないと主張し、マーシャルを困惑させる。その夜、盗聴を過度に怖れるフィッシャーは、モーテルの外の公衆電話から、母に試合を観に来ないよう伝えようとするが、連絡が付かずに断念する。フィッシャーはドナにセックスに誘われるが拒む。一方、スパスキーは代理人のゲラーからフィッシャーを叩き潰すよう命じられる。その後、フィッシャーは8連勝し、最終戦でスパスキーと対戦する運びとなる。その前夜、フィッシャーはドナとセックスして童貞喪失するも、スパスキーとの対戦に心を奪われる。翌日、フィッシャーは入念な準備の甲斐虚しくスパスキーに敗北する。フィッシャーはメダル授与式への出席を拒んで会場を飛び出すと、ビーチで黄昏れ、モーテルに戻らないまま夜を明かす。マーシャルはフィッシャーの精神状態を心配するロンバーディに、これはブルックリンの貧しい青年がソビエト帝国を迎え撃つ戦争であり、完璧なアメリカ物語なのだと説き、フィッシャーを理解し、管理する事で勝たせるべきだと訴える。ロンバーディは1855年に米国最高のプレイヤーだったモーフィを引き合いに出し、彼がフィッシャーと同じ様に破竹の勢いで上り詰めながらも精神に変調を来し、26歳でチェスの世界から去った後、自殺した事を明かすと、精神状態が極限を超えるのがチェスであり、フィッシャーはそれに耐えられないと説く。翌朝、ビーチで目覚めたフィッシャーは泳ぎにやってきたスパスキーに難癖をつけるが、スパスキーは意に介さず立ち去る。フィッシャーはスパスキーを打ち負かすと啖呵を切る。

1967年、フィッシャーはハンガリーで開催された国際試合でチェスへの復帰を果たすと、世界チャンピオンを目指すと宣言する。その後、フィッシャーは数年に渡る国際試合で各地のグランドマスターに連勝し、その都度スパスキーを挑発する。その一方で、フィッシャーは偏執病を悪化させていき、ソ連による自らの盗聴や暗殺を疑い、共産主義による陰謀論に執着するなどの奇行が目立つ様になる。ジョーンはフィッシャーと連絡が付かない事から、ニューヨークでマーシャルと会う。ジョーンはフィッシャーから毎週送られてくる手紙をマーシャルに見せると、その異常で悪化する一方の内容が精神異常の徴候だと説き、医者へ連れて行くよう哀願する。マーシャルはフィッシャーの才能は狂気から生まれるのだと説くが、ジョーンの意を汲み、フィッシャーの面倒を見ると約束する。程なく、フィッシャーはバンクーバーの世界選手権準決勝で勝利し、スパスキーへの挑戦権を得る。その直後、マーシャルはジョーンと会った事をフィッシャーに明かし、ジョーンが心配していた事を伝える。フィッシャーはマーシャルが自分に内緒でジョーンと会った事への不信感を露わにし、クビにすると恫喝する。フィッシャーの扱いに手を焼いたマーシャルは、精神科医に見せる事を検討するが、ロンバーディは薬でフィッシャーの偉大な才能が破壊される事への危惧を示す。

世界王者のスパスキーとの対戦が決まった事で、フィッシャーは米国で一躍国民的スターとして持て囃される。フィッシャーは世界選手権が開催されるレイキャビクに赴く直前に、ロンバーディと口論し、また契約についてマーシャルに難癖をつけて空港から逃げ出す。結局、マーシャルは開会式をドタキャンし、スパスキーだけが出席する。その夜、フィッシャーは自宅からジョーンに電話をかけると、妄想に基づくKGBによる暗殺や盗聴の恐れを訴える。ジョーンはフィッシャーの精神状態を心配する。そこへマーシャルが駆け付け、契約が改善された事を伝える。フィッシャーはそれに満足し、ニューヨークを出発する。レイキャビクに到着すると、フィッシャーらは郊外に用意された滞在用の邸宅に泊まる。1972年7月11日、世界中がその行方を見守る、盤上の第三次世界大戦とも言うべき全24局の試合がメインホールで始まる。フィッシャーは序盤こそ順調に対局を進めるが、間もなく会場の雑音で全く集中力を欠く様になり、初歩的なミスを犯してスパスキーに敗れる。フィッシャーはソ連ユダヤが自分を狙っているなどと訴え、騒々しい観客とカメラの無い静寂な卓球室での対局を要求する。第2局、フィッシャーはホールに姿を見せず、不戦敗となった事でメディアで嘲笑される。フィッシャーは邸宅の備品を手当たり次第分解して盗聴器を探すなどし、暗殺に怯える。マーシャルは試合に復帰するようフィッシャーに強く懇願するが、フィッシャーはマーシャルが敵だと疑念を抱く。一方、スパスキーはフィッシャーが自分とまともに戦えば潰されると分かっているからこそ、異常を装って逃げようと企てているのだと考え、打ち負かす為に要求に応じる意向を示す。

第3局はフィッシャーの要求どおり、卓球室に審判を含む三人と音の出ない固定カメラ一台だけという環境で行われる。 フィッシャーは序盤から思いもよらない、一見すると自殺行為にも見える打ち手で対局を進め、スパスキーを翻弄し、勝利する。それを受け、全米でフィッシャー旋風が猛威を振るい、俄にチェス熱が高まる。第4局はドローで終わる。第5局、スパスキーは対局中に椅子から振動がして集中できないと訴え、椅子をひっくり返して調べ始める。フィッシャーが勝利した後、スパスキーは椅子をX線で調査させる。第6局、フィッシャーはホールでの対局に応じる。フィッシャーはまたしても前例のない打ち手で対局を進める。誰もが意図を読み解けないその手にスパスキーは動揺する。スパスキーは徐に立ち上がり、負けを認めてフィッシャーに拍手を送る。それを受け、観客も拍手喝采する。米国では多くの国民と同じ様に、レジーナやジョーンもテレビでその様子を見届け、歓喜する。邸宅に戻ると、ロンバーディは見事な対局だったとフィッシャーを労う。フィッシャーは全ては理論と記憶に過ぎず、正しい指し手は常に一手だけだと説く。

結局、フィッシャーは12.5-8.5ポイントでスパスキーを破った。第6局は今も史上最高の対局と言われている。その後もフィッシャーの精神状態は悪化し続けた。フィッシャーは数百万ドルものオファーを拒否し、タイトルを放棄して人々の前から姿を消した。1980年、フィッシャーは放浪罪で逮捕されたが、留置場で虐待されたと主張した。1992年に姿を現したフィッシャーは、ベオグラードでスパスキーと再戦した。米国政府は経済制裁措置に反する罪でフィッシャーに逮捕状を発行した。フィッシャーは米国に対する敵意を剥き出しにしながら世界を放浪し、2005年にアイスランドに亡命した。晩年、真実を探求しているのだと主張していたフィッシャーは、2008年にレイキャビクで死去した。

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