チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

拙日記が満3年を迎えたので、初日を振り返り、あの時君は若かった~と口ずさんだ。

だからどうしたという話だが、拙日記が11日3日をもって満3年を迎え、4年目に突入した。昨日書くべきだったが、昨日は昨日で別に書くことがあったので、今日に日延した。自分の場合、日記という体裁を取っている以上、毎日更新する事が自己目的化しているというだけで、とにかくその時考えている何かを書き留めて置けば良いのだから、別に労力でもなんでもない。2012年11月3日というなんとも中途半端な日に「乞食のおっさんネガチブ日記」と称して始めて以来、紆余曲折を経て今に至るワケだが、当初はなんともシンプルな内容だった。普段、過去に書いたものを参照する事は皆無に等しいので、ここで初日を久しぶりに振り返ってみる。

人生で初めて日記を付ける。 - チラ裏レベルの人生記(仮)

もう人生も終わりに差し掛かってるんじゃないかと思う今日このごろ。

ここらで日記でもつけてみよかと思い立った次第です。

筆不精なものでブログとかノータッチできたもんですから、

自分でも続くかどうかわからないけどとりあえず始めてみます。

人生のカウントダウンスタート。

なんだろう、この迸るほどのヴァージニティが凝縮された初々しさは・・・。形式に拘る必要の無いくだらない日記とは言え、ネットに文章を投稿するという事自体に不慣れだったから、右も左も分からずに手探りで書き連ねるしか無く、数ヶ月間は何故かこうして無駄に改行していたのを思い出す。あの時君は若かった。

しかし、3年と言えば長いようで短いようで、どちらにも解釈し得る期間だが、僕がそれだけ齢を取ったというのは厳然たる事実だ。3年前から何一つ、本当に文字通り何一つとして状況が好転していないのは、もう驚きを通り越して呆れるしか無い。この日記がたとえ4年、5年と続いたとしても、好転どころか奈落の底まで止めど無く転落していく様子を記録する以上の代物にはならないだろう。

40歳という大台も近づき、最近は「如何にして人生を終えるか」という問題を割りと真剣に考え始めた。希死念慮自体は四六時中持ちあわせているのだが、そのフェーズが幾らかシフトアップした様な気がしている。仮にいまここに「人生を終えるスイッチ」という物が存在したとしたら、僕は迷う事無く即座に押すだろう。僕は人生の9割方を苦痛だと捉えているから、終えられるものならいつでも人生を終えたいのだが、そういう人は少数派なのだろうか。とまれ、今後もこうしてネガチブを撒き散らして、いつしかはてな運営に有害指定される様な高みを目指したい。

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