チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

松居一代の動画を観てこれくらい愛されてみたいと思った私は限りなく少数派か。

私の汚部屋の小さなテレビではほぼほぼ終日NHKを付けっぱにしているので、今春から始まった生放送番組ごごナマに出演している船越英一郎を、平日は毎日嫌でも目にする事になる。嫌でも、というのは言葉の綾で、別段好きでも嫌いでも無く、崖が似合うサスペンス俳優くらいの認識しか持ち合わせていないのだが、昨日、松居一代YouTubeに自ら投稿した、愛憎と怨嗟やら諸々の情念が綯い交ぜになった動画を観て、松居の主張の真偽の程は定かでは無いにせよ、私の船越に対するイメージはネガチブ側に振れてしまった。それどころか、私は一人の女にここまで愛されて羨ましいとすら思ったので、松居に肩入れしている事になるのか。それにしても自らの出張を滔々と語る松居の姿はさながら修羅の様で、おしどり夫婦でも一度拗れると人をここまで追い込むものなのだいう事が分かって興味深くもあった。私は自らがこんな経験をする事がまずあり得ないし、人伝にこの手の修羅場の話を聞く事も無いので、全てが新鮮に思われてならない。人生というのは良くも悪くも本来斯様に賑々しいものなのだろう。それと比べて私の無味乾燥な生活と来たら、ある意味、監獄である。マジで誰かに骨まで愛されてみたい。