チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発

マイケル・アルメレイダ監督作「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」("Experimenter" : 2015)[DVD]

服従実験と称して、ホロコーストの責任者アドルフ・アイヒマンの心理を検証し、組織的な大虐殺を起こすに至った原因の解明に心血を注いだ、心理学者スタンレー・ミルグラム博士の半生を描く史実ドラマ作品。

 

1933年、ユダヤ人移民の両親の元に生まれたスタンレー・ミルグラムは、ホロコーストに対してとりわけ強い思い入れを抱いて育った。1961年8月、社会関係学専門の心理学者としてイェール大学で研究に従事するミルグラムは、組織的な大虐殺がどの様に起きるのか検証する、後にミルグラム実験またはアイヒマン実験と称される事になる、「服従実験」を開始する。

一般人から任意で選ばれた被験者には、心理学者による学習プロセスの研究の一環として、報酬や罰の効果について調査を行うという主旨が説明される。被験者は「先生」として、敷居の向こうの仕掛け人である「学習者」に単語の選択問題を出し、「学習者」が誤答すると軽い電撃を与える。被験者は「学習者」が誤答する度に段階的に電撃の強度を増していく。被験者が苦痛を訴える「学習者」に配慮して電撃を躊躇うと、控えている試験官が全て正解するまで続行するよう促す。大抵の被験者は時に苦悩し、時に笑いをこらえながらも最後まで続ける一方、一部の被験者は良心の呵責に耐え兼ね、実験に反発したり、中止を願い出たりする。実験終了後、被験者は電撃強度の表示が偽物であり、「学習者」に危害は無く、実験の本当の目的が命令に従う心理を探る事にあると知らされる。

ミルグラムは環境や条件を変えるなどして、色んなパターンの服従実験を行う。精神科医や心理学者は誰しも、実験を最後まで続ける者はいないと断言していたが、実際にはどの被験者も躊躇い、嘆息し、身震いしても最後まで実行し、反抗する者は極めて例外的だという、恐ろしい結果が示される。ミルグラムは、悪意ある権力の命令に服従して、市民に残虐行為を加える様な人間性は、アメリカ社会とて無縁では無いと結論付ける。

1962年5月27日を持って服従実験は終了する。その4日後、ホロコーストの責任者であり、戦後アルゼンチンに逃亡していたアイヒマンが絞首刑に処される。アイヒマンはその最期まで、罪悪感も後悔の念も示す事は無く、ユダヤ人の移送が任務であり、上官の命令が無ければ実行しなかったと主張する。ミルグラムプリンストン高等研究所に在籍していた頃に仕え、博士論文の指導を受けたアッシュ博士は、服従実験に対する不快感を示す。ミルグラムは実験の意義と成果について説明し、理解を求める。程なく、ミルグラムは実験レポートを異常心理学・社会心理学ジャーナルに提出し、世に発表する。

1963年9月、ミルグラムハーバード大学の社会関係学部で助教授の職を得る。ミルグラム服従実験について、学生から、それが被験者にショックを与えるものであり、詐欺紛いの実験では無いかと非難される。ミルグラムは学生達の協力を得て、米国民の行動心理を検証する「放置手紙実験」を行う。ミルグラム社会福祉を専攻する妻サシャとの間に女児ミシェルを儲け、ハーバード大で終身教授のポストを狙うが、それと前後して、服従実験が被験者に強いストレスを与えるものであり、倫理的・道徳的に問題だとする批判が相次ぐ様になる。ミルグラムは被験者に対して強制しておらず、自らの良心と意志に基づき、服従するのも背くのも自由だと反論し、実験終了後の被験者への聞き取りから、80%以上が実験への参加に好意的であり、後悔しているのは1%余りだった事を明かす。その後、ミルグラム精神科医と一緒に、ミーティングという形で被験者の心のケアを行い、後遺症や罪悪感の有無について調査するが、出席者は少なく、不満は多いという結果を得る。

1967年、ミルグラムとサシャは男児マークを儲ける。この頃、ミルグラム服従実験を離れ、社会の構造に関する「六次の隔たり」を検証する「スモールワールド現象」の研究を始める。ミルグラムは終身教授のポストを逃すが、1974年9月にニューヨーク市立大学社会心理学部長として教授職を得る。また同じ頃、「服従の心理:実験的視点」を出版する。それを受け、ミルグラムはテレビの対談番組にゲスト出演する。ミルグラムは実験から10年を経て著書が注目される理由について問われ、人が権威に逆らえないと実験が示したのに、社会の常識に傷がつき、倫理観が壊れてしまうから、皆はそれを認めたくないのだろうと説く。また、ミルグラムは倫理的に問題だという批判について、65%は服従し、35%は反抗したという結果を引き、人間の変わりやすい性質が示されたのだと説く。

服従の心理」は8ヶ国語に翻訳され、全米図書賞の候補となる。程なく、ミルグラムの元へCBSのベラックが訪れ、服従実験とその余波をフィクションで描く映画化の話を持ち込む。ミルグラムは顧問を依頼されるが難色を示す。この頃、ミルグラムはサシャとの結婚生活に危機を迎える。その後、映画は「10番目のレベル」というタイトルで製作、放映される。ミルグラムはサシャに歩み寄り、和解する。

1984年、ミルグラム服従実験の講演で世界中を飛び回る。オーウェル1984年と関連付けられたからである。程なく、ミルグラムは51歳にして心臓発作で逝去する。その後、世界中の心理学の入門書が服従実験を取り上げ、論じており、再現実験も度々行われている。ミルグラムの実験の手法や結果を巡っては、今も尚、批判され続けているが、権力が認めた暴力が整然と行われる度に、服従実験は必ず話題に上がる。答えは出ていないのである。

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