チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

やっぱり社会に適度に揉まれないオツムは腐っていくのだなぁとヒシヒシと実感する読書の秋。

昨日は予報通りに10月とは思えぬ程の汗ばむ陽気だった。さすがにもう夏日は来ないだろうから、そろそろ夏服は収納してしまおうかしらと考えている。しかし、クソ狭い部屋にも関わらず、持てるリソースの大半を投入して、見境なく服を買い漁ってしまうものだから、収納スペースが無くて困った。シーズンごとにカラーボックスの中身を全取っ替えするワケだが、天性のズボラ気質ゆえにその作業が億劫で仕方ない。要らない服なら二束三文でも売ってしまう事もできるが、売るのが惜しい服が多過ぎる。渇望の末に、何年も使う事を見越して買ったのだから当然といえば当然だ。おそらく今冬もいくつか服を買ってしまうだろうが、私は激しく「足る」という事を知らねばならない。それはさておき、私は歪な浪費癖ゆえに、ケチるところは徹底的にケチってしまう性分であり、書籍はほぼほぼ図書館で借りて読む様にしており、ここ数年を振り返っても購入した本は片手で足りるほどしかない。昨日も図書館に行き、読了本を返却して、予約しておいた本を受け取ってきたのだが、事前の確認が足りず、予想外に重厚で小難しいハードカバーの本で萎えた。時が経つにつれ知能に衰えを来たし、その手の本は脳が受け付けなくなってしまった。常日頃、比較的サクサク読める新書系ばかり読んでいるのも、その傾向に拍車をかけるのだろう。生産的な活動に従事せず、適度な負荷に晒されていない脳は腐っていく。その内、読書そのものに音を上げる時が来るかもしれない。