チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

キ印野郎のせいで。

3時半に起床。体調は程々に良い。まだ鼻水は出るが、風邪の症状は収まったみたいで喜ばしい。朝、ニュースを見ていたら、大雨で名古屋駅が冠水して酷い有様だった。こちらでも今日は雨の予報だったが、心配する程降らないらしい。

ときに、神戸の女児の死体遺棄容疑で逮捕された男は47歳ムショクだとか。どこまで真実か分からないが、例の如くネット界隈では男の素性が暴かれつつある。今年も何件か、児童が行方不明で公開捜査となったと記憶しているが、今回は言葉にするのも憚られる程、残虐で凄惨な事件だった様だ。お悔やみ申し上げる。

件のキ印野郎のせいで、高齢ムショクの肩身が狭くなるのは必至の状況である。僕はつい先日も、そこらで下校中の児童らと通りすがるのは、向こうも当然怖いだろうが、こちらも不審者扱いされかねず怖いので、日中通学路なんかを歩くのはできれば避けたいなぁとか、そんな風に書いたばかりだったのだが、いよいよ児童と接近・遭遇しない様な時間帯とコース取りを、真剣に検討すべき時期かもしれない。

いっそのこと、もう私服ではなくスーツでも着て出歩いてやろうかとも考える。もちろんスーツを着たリーマソが、その手の残虐非道な犯行に及ばないという理屈はないのだが、そうはいってもいい齢したおっさんが日中私服でぶらぶら~より、スーツ姿でさも外回り中です的な格好の方が、一見して説得力があるのではないかしらんと、浅慮ながらもそう考える次第で。

しかし、最近スーツ着たのっていつ以来かしら。仕事を辞めてからというもの、着るのは面接くらいのものだが、その面接だってとんとご無沙汰だし。坊主にスーツじゃあっち系よりそっち系だしなぁ。車で移動できれば、こうして悩まずに済むんだけどさ。今後、所有する事もないだろうから・・・

 

映画鑑賞記

ヴィンチェンゾ・ナタリ監督作「ハウンター」("Haunter" : 2013)

死者となり住家に囚われの身となった少女が、その原因の解明に乗り出すスーパーナチュラル・ホラー作品。

1985年のオンタリオ、リサ(アビゲイル・ブレスリン)は弟ロビーの呼び声で目を覚ます。昨日と全く同じ朝の始まりだ。その後、母に洗濯を頼まれるのも分かりきっている。いつからか彼女は、こうして同じ毎日を繰り返す様になってしまった。父は車の修理に没頭し、母はパンケーキを焼く。今日も何一つ変わらないらしい。その事を何度も家族に訴えるのだが、取り合ってもらえない。屋外は深い霧で覆われ、外出もままならず、電話も不通のままだ。どうしてこうなってしまったのか、彼女にはその理由が分からず、一人で塞ぎこんでいた。ところがこの日は何かが違った。リサはどこからか何者かが自分を呼ぶ声を聞いたのである。声の主こそ分からないが、リサはその声に誘われる様に、自分にいったい何が起こっているのか探り始める。そして彼女は知ってしまう。一家全員が既に死んでおり、死者のままこの家に囚われているのだという事を。リサは自身が既に死んでいるという事実を直視し、この家に纏わる陰惨な事件を紐解いていく。

死者の少女が主役という一風変わった設定のホラー作品。彼女達一家が死者である事は前半の早い段階で明らかにされる。そして、なぜ彼女達は死んでしまったのか、なぜこの家で同じ毎日を繰り返すのかという謎を、リサが一人で解明していく、というおハナシ。きっかけは現代(iPadがある時代)のこの家に住んでいる、少女オリビアからの救いを求める声。オリビアが発狂した父親から殺されそうになるのだけど、それがこの家で代々繰り返されてきた陰惨な悲劇に繋がっているワケですな。何故か時空を超えて、接点を持っちゃうリサとオリビア。リサはオリビアの身体に憑依する形で過去から現代に遷移し、オリビアを救おうと奮闘する。リサ役のアビゲイル・ブレスリンが、女優としてのその成長ぶりを発揮してますな。ちょいぽちゃ系なのは昔と変わらんのかな。これからどんなキャリアを歩んでいくのか楽しみである。

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