チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

安楽デイドリーム。

この辺の記事をペロッと読んで、例えば僕の様な最底辺に根を張るウドの大木でも、町村議会議員レベルなら間違って当選しちゃう可能性があるんじゃないのって思った。市議会議員レベルでも無投票当選が相次いでいるから、供託金さえ準備できれば、それなりにシュッ!とした面構えのポスターと、SNEPならではの政策集を拵えて、草の根活動を展開する事で、定数ギリギリで滑り込めるかもしれない。ひょっとしたら普通に就活して、企業に採用される確率よりも高いのではないだろうか。町村議会議員あるいは市議会議員を数年務め上げて、経験を積んだ暁には、その実績をバネに国政に挑戦する日が来るかもしれない。

国政の場で僕が実現したい政策の筆頭は、何より安楽死の法制化だ。どれほど問題が山積しているにせよ、こんなに成熟した社会で、いかに苦痛を感じず逝くかの議論から目を反らし続けるのは、あまりに理不尽ではないだろうか。尊厳死、引いては安楽死を国民的議論の俎上に載せ、いつの日か実現化を図りたい。

というデイドリームで、今日もゲンジツトウヒが捗るのだった。もちろんSNEPならではの戯言だが、妄想は自由だし無限大だ。それにお花畑な議員や、犯罪性向の高い議員が跋扈している現実を見据えれば、ハナから無理と決め付け、嗤い飛ばす必要も無いだろう。そういう一見爆死必至の若い候補者が現れた時、その言葉に耳を傾け、可能ならそっと後押ししてあげたい。腐っても一有権者として、僕はそういう心構えでいたい。