チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

また眠っている間に奇声を発して目覚めちまったのだがまったく俺のアタマどうかしてるぜ。

ボンジーヤ!昨日は結局、あれ以来、ゲジゲジクリーチャーは姿を見せる事が無く、私は怯えながらベッドの上で悶々と過ごした。どこから侵入したにせよ、それと分かる形で去っていくワケが無いから、このまま当分の間は、ほんのりビクビクしながら暮らす事を余儀なくされる。憂鬱だ。しかし、そもそも論として、本当にゲジゲジクリーチャーはいたのだろうか。私が見たのは幻覚だった可能性も捨てきれない。それくらい、私は今の自分自身のアタマを信頼できない。仮に若年性認知症を患っていたら、周囲に気付いてくれる人が誰一人としていないのだから、そのまま放置して進行が止まらない恐れだってある。その内、自分でも気付かない内に理性を失ってしまうでのは無いか。そう考えると不安で仕方ない。そういえば、昨夜もまた、割りと鮮明な夢を見ていたのだが、その夢と連動して眠っている私も大声を発してしまい、自分の声に驚いて目が覚めた。おそらく隣人Xにも聞かれてしまっただろう。齢を重ねるにつれて、こういう経験が増えていくのだが、本当に私は大丈夫だろうか。独居暮らしを10年、20年、そして30年と続けていると、カラダよりアタマの方が先に逝ってしまいそうだ。アタマの方が完全に逝ってしまうと自らの意志でタヒねなくなるから、そうなる前にどこかで意を決しなければならないのだが、その見極めが難しくて悩ましい。