チラ裏レベルの人生記(仮)

自分が自分で無くなった時に、自分を知る為の唯一の手掛かりを綴る、極めて個人的な私信。チラ裏レベルの今日という日を忘れないように。6年目。

世捨て人のおっさんがいつまでも若造ライクな装いを続けている事に悲哀を感じる。

今日は年に一度あるかないかレベルの大雨が降っている。結局、接近していた台風は温帯低気圧に変わったのだが、人間の尺度でそう決めているだけであって、別の何かに変化したワケではないので、当初の予報どおりにこうして当地を直撃している。明日は久しぶりに晴れるらしいが、予報に拠ればこの梅雨同然の悪天候はまだ終わりそうにない。当地に移り住んでこの方ン年になるが、こんな奇妙な夏は始めての事だ。これだけ異例の天候不順が続くとやはり農作物が心配だ。比較的価格が安定している今の内に、急騰への財政的な備えをすべきかも知れない。尤も私の事だから、『かも知れない』などというヌルい心配では備えを実行に移さないだろう。何事も急き立てられて初めて着手するのがポンコツな私の習性だ。しかし、こういった心配があるから、夏のセールで服飾アイテムにカネを費消する事で、僅かでも物欲を解消してやろうという気が起きない。ときに服と言えば、私の様な世捨て人のおっさんが、いつまでも20~30代の頃の若造ライクな装いを続けている事への人目が気になる様になり、手持ちの服に嫌気が差してきた。精神年齢が更に低い10代止まりだから、年相応と言えばその通りなのだが、ボデーは確実におっさんのそれへと劣化しているのだから、若造ライクな装いは我ながら滑稽であり不気味ですらある。標準的な同世代とはモノの考え方がどれ程違うのか想像しただけで恐ろしい。